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夫婦ふたり旅(2) 東日本大震災・原子力災害伝承館で、原子力災害について知る


震災遺構(請戸小学校)を出て、車で数分のところにある東日本大震災・原子力災害伝承館に向かった

請戸小学校の周りは、今は一面の草が生い茂る平原が広がっているが、311の津波の前までは家がびっしり建っていたらしい

↓(右上)右の丸屋根が請戸小学校(多分)

↑(左下)黒い石板には、震災前の街の地図と「何家」(田中家、木村家など)、住んでいた人たちの名前が掘ってあり、(下側が海だから)海沿いに多くの家が立っていたことがわかる

 (右下)広い平原にぽつんと立つ「福島県復興記念公園」の建設予定地の看板

東日本大震災・原子力災害伝承館で、原発事故について学ぶことになった

入口を入り、映像を見たあと、真っ白な螺旋(らせん)階段を登りながら原発を巡る出来事を時系列に追っていく

↑(左)約50年前の1971年に原発運転開始、1973年・1978年に石油危機がおこる

 (右)約40年前に深刻な原発の事故が発生(1979年スリーマイル島、1986年チョルノービリ=チェルノブイリ)

2011年3月11日、東日本大震災が発生

↓2011年3月11日(左上)、3月12日(右上)刻々と状況が変わっていき、半径10〜20km圏内に避難指示発令、

 (左下)14日に3号機原子炉水素爆発、15日に4号機原子炉水素爆発し、半径20〜30km圏内に屋内退避指示

真っ白な壁に貼られた展示物を見ながら、現実とは思えない恐ろしい過去の事実が押しかかってくる

原発が街にやってきた後の街の様子

↑この標語は、当時の小学6年生の作品らしい

(元小学生親のつぶやき:小学校で6年生全員が標語を書く宿題が出て、その中から、社会状況にあった作品が選ばれたのかなぁ…)

↓(上)当時の小学生が書いた原子力についての習字や作文

(元小学生親のつぶやき:小学校の授業や、書き初めなどで、学年全員が書かされたのかなぁ…)

↑(下)原発の建設により、人口が増加した等、地域にとって良い影響があったこともわかった(黄色の線は県内郡部合計で人口が減少している一方、青色は双葉町で原発を機に人口が激増している)

伝承館の展示は

311以降、原発では、何が起こったのか

原子炉が具体的にどうなっていったのか

原発事故の後、周辺の住人たちにどういう影響があったか

原子力がどう人体に悪影響を与えるか

などなど、具体的に教えてくれる

映像による多くの展示(最新式)も駆使して、現実に起こったとは信じられないような出来事が起こったことを見せてくれる

その他、人々の証言や遺された物も複数展示してあった

(左は、津波に巻きこまれた消防車)

↑(右)の写真に言葉が添えられていた

「2011年9月11日 津波で流され、回収されたランドセル。震災から半年が過ぎたが、引き取り手が現れず、学校に残ったままだった」

私の印象に残ったのは「福島県の死者・行方不明者数」

その他の県(宮城県、岩手県)は、地震による死者・行方不明者が多いが、福島県だけは、災害関連死の方が圧倒的に多かったそうだ

地震や津波からは助かったのに、被災した後の避難生活、原発事故によって避難区域が広がり、被災した後に避難所を数カ所も移動しなければならなかった過酷な避難生活、移住や、なかなか進まない復興によって、多くの方々がそこまで亡くなっていたことに衝撃を受けた

↑避難者数の推移、2012年5月は県内避難が多い一方で、12年も経った2023年もまだ多くの人々が元の生活に戻れていないことがわかる

伝承館の語り部(案内人)のおじいさんの話では、周辺の街は、帰宅可能になっても、多くの人が帰ってきていないこと、避難生活が長くなり、避難先で仕事を始め、子供が産まれて定住したため、もう戻ってこれない人たちが多いということだった

そして、知らなかったことのもう1つが「除染」について

人が住める場所にするためには、汚染された土壌を掘って、除去して、袋に入れて、物理的に遠ざけるために別の場所に運んで行って初めて、その土地に人が住むことができるそうだ

道路のあちこちでクレーン車が作業しており、「除去土壌」=汚染された土が入った大きな黒い袋がたくさん積んであった

時間が経ったから帰還できるのではなく、気が遠くなるほどの作業を続けたから帰還可能な地域になったこと、そして今も、これからも「除染」作業が続いていく、という事実を知った

一方で、被災した場所が、復興に向けて着実に変化していることもよくわかった

↓(上)は震災直後、(下)は復興した姿

 (左)岩手県陸前高田市(上が2011年3月12日、下が2020年8月)

 (真ん中)宮城県南三陸町(上が2011年3月12日、下が2020年9月)

 (右)東京電力福島第一原子力発電所(上が2012年2月、下が2021年1月)

【母娘ふたり旅 伊勢志摩編】

伊勢志摩編(1)「特急南紀で熊野市駅まで」

伊勢志摩編(2)「熊野古道ってなんだっけ?(世界遺産を徒歩でめぐる 松本峠から鬼ヶ城センターまで)」

伊勢志摩編(3)「断崖絶壁の鬼ヶ城(世界遺産を徒歩でめぐる)」

伊勢志摩編(4)「七里御浜、獅子岩、花の窟神社(世界遺産を徒歩でめぐる)」

伊勢志摩編(5)「伊勢志摩サミットの場所へ(世界遺産をめぐる)」

【母娘ふたり旅 その他】

伊豆下田編「黒船電車、下田海中水族館、白浜大浜海水浴場」

【夫婦ふたり旅 伊豆下田編】

(1)震災遺構(福島県の請戸小学校)に行き、帰還困難区域と津波災害について知る

(2)東日本大震災・原子力災害伝承館で、原子力災害について知る


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あっこママ
東京出身、都内在住、早稲田大学 政治経済学部卒。【 女子高校生チタちゃん、男子中学生トラ君、ぱんだパパの4人家族】 宗教嫌いで旅行三昧だった大学生のときに「キリスト教福音宣教会(摂理)」に出会う。 15年以上、海外出張をし、夜中まで働くキャリアウーマンだったが、子育てを機に、今はテレワークで自分を作り中。 趣味は旅行、陶芸、食べること、お出かけ(水族館、博物館など)etc..。”子供とお出かけ情報”を多数掲載。