私が鄭明析(チョンミョンソク)牧師を知ったのは、今から30年以上前の大学生のとき
私は元々、無神論者で、特に”新興宗教”が大嫌い、”教祖”という輩は嫌悪していた(多くの日本人と同じように)
だから、御言葉を聞き始めてからしばらくの間、違和感を感じたらさっさと逃げようと、心を許さず、かなり警戒していた(笑)
小さい時から、歴史が好きだったけれど、歴史上の多くの人物の末路、最期を見て、人間ほど醜(みにく)い生き物はない、と失望していた
最初は理想に燃え、崇高な目的を持っていても、多くの人たちが途中から、成功して名声を得ると、私利私欲に走り、人間のエゴをむき出しの醜い晩年を過ごして死ぬ…
だから、私が好きな歴史上の人物は、志半ばで早逝した人ばかりだった
宗教の始祖=教祖は
最初は、禁欲的で純粋でも、社会的地位が高くなり、信徒が集まり、お金が集まると、醜さが露呈
豪邸に住み、食や物に貪欲になり、肥え太り、お気に入りの大勢の女性(もしくは男性)に囲まれ、私財を増やして子孫に財産を残そうとし、子供たちは後継者争い、財産争いをする…
極端だけど、そんなイメージだった(笑)
鄭明析(チョンミョンソク)牧師(以下、先生)は、というと
今でも、私は人間のエゴを感じるとモヤッとした嫌な感じを受けるけれど、30年以上見てきた先生に人間の汚なさを感じたことがない、私にとってかなり不思議な人だ
他の人からの話ではなく、世の中のうわさ話ではなく
実際に何回も会って、この目で見た姿や、御言葉や映像などから、直接伝わってくる姿は、私が嫌悪感を感じる醜い人たちとは違っていた
私が初めて先生にお会いしたのは、1994年1月、今から30年ほど前、日本の長野県でスキーをされたときだった(私が摂理に来たのは1991年)
先生はすでに多くの人々が従う指導者だったけれど、偉そうな威圧感は感じなかった
どちらかというと、私は当時の日本の指導者たちの方が怖くて、その指導者たちが先生を囲むから、怖くて近寄りにくかった(笑)
覚えているのは、ひたすらスキーをし続けていた先生の姿
確か先生がスキーを初めてからそこまで経っていなかったときで、スキーが上手な若い社会人や学生に滑り方を学びながら、何度も何度も練習されていた
その時、先生は49歳、周りにいる学生や社会人の多くが10代や20代
先生は、まったく人の目を気にすることなく、干支で2回り以上年齢が離れた若い人たちに真摯に学んでいた
真剣に、謙虚に、そしてひたすら練習、失敗しても練習
多くの人の上に立つからこそ、ついてくる人たちの目を気にするだろうけど、先生は指導者なのに、カッコ悪いとか、きまり悪いとか、見栄を張るとか、そういうことは考えないみたいだった
自己流スキーの私は、最初は先生の群れの後ろの方にいたけれど
ぐんぐん上手くなり、スピードアップする先生に全くついていけなくなり、そのうち、後ろからすごい勢いで滑って追い越していく先生に手を振る人になっていた(笑)
先生は、スキーが上手い人たちとだけ一緒にいるのではなく
滑れないメンバーたちのところに行って、笑わせたり、スキーが上手い人に教えるようにさせたり、雪で遊んだり、いろんなメンバーとリフトに乗ったり、私たちみんなと親しくなろうとしてくださっていたようだ
しばらくして、みんなで集まって、ふかふかの雪原で、全員で思いっきり雪合戦をした
滑れる人滑れない人、関係なく、新雪で足がとられる中、雪を投げ続け、雪煙の中で、みんな大笑いしながら、楽しく過ごしたことも、とても良い思い出になった
そして、肉体と精神の限界まで一生懸命スキーをした夜
若い私たちが体力が尽きて、眠くなる中、はるかに年齢が上の先生は、疲れ切って、ぼろぼろなはずなのに、神様についての話(御言葉)を熱く伝えてくださった
先生と同じ空間にいて、一緒に過ごして、感じたのは、
先生は、神様とイエス様ばかり考えているんだなぁ
御言葉を伝える時も、それ以外の楽しく遊んでいる時も、神様とイエス様の話ばかりするんだなぁ
そして、先生のいらっしゃるところは、一緒にいる私たちも、ひたすら楽しくて、笑いと喜びがあふれる天国だ、ということだった
そして、先生が神様のことをたくさん教えてくださるから、一緒にいる私たちも神様のことをもっと知り、普段よりも身近に考えるからもっと感じ、もっと強く信じるようになる
先生は、私たちと一緒に過ごしている間、ひたすら神様に仕え、神様を愛し、兄弟姉妹に神様の愛で接してくださるその姿は、真実で純粋で、人間としてとても美しい姿だった
どうしてそこまでできるのか、と思うほど限界まで行なう、その言動からは、嘘いつわりは感じなかった
40年ほど前から今に至るまで、
先生が
金に溺れたり、女性を性的対象として扱ったり
私利私欲に走ったことはないと思っている
なぜって
鄭明析(チョンミョンソク)牧師は、イエス様が大好きで、いつも神様を考え、いつも神様のために生き、いつも神様と共にしようとしているから
そして、
先生は、神様にぎゅっと自分を縛り付け、自分の好みや考えを捨てて、神様の好みや考えを持つように努力されている
だから、神様が嫌われること、人間的な醜いことを、先生はしないと思う
もちろん、先生のすべての時間を共にした人はいないし、先生の全ての行動を見た人もいない
そして、私は日本人だから、物理的に先生と同じ空間で過ごしたのも多いほうではない
それでも、私は確かに先生の言動を見たし、先生を通して、先生の御言葉を通して、神様を感じたことがたくさんある
私は50代の大人だから、世の中の噂もよく知っている
でも、世の中のうわさ、特にネットの話はあてにできない、おばちゃんのおしゃべりみたいなもの
無責任に発言し、事実と反することを言っても、責任を取らないし、うわさは時が経てば消え、必要ならば真実が現れることは、身の回りでも、世の中でもよくあること
だから、自分の目で見て、自分で体験して、感じたこと、悟ったことを大事にしていきたいし、記録しておきたいと思っている
(2016年11月15日の記事をリライトしました)