自分の誕生日が戦争記念日だと知った幼い日から、私にとって戦争は身近だった
小学生の時に見た夢、空襲で逃げまどう恐怖は今も鮮明に覚えている
小学生から高校生の趣味は読書、歴史物か戦争関係の本を読みあさっていた
(愛読書は「ふたりのイーダ」「かわいそうなぞう」「アンネの日記」などなど)
大学時代の趣味は旅行、軽めのバックパッカーだった(笑)
学期中は、旅行資金を稼ぐためにアルバイトと徹底的な節約
長期休みには東京を離れ、国内(北海度、九州、四国など)、海外(ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、ロシア、東欧など)を旅行し、戦争関連施設にも足を運んだ
戦争下で子供や若者に何が起こったのか・・・
戦争の惨状とおぞましさ、恐ろしさを目の当たりにした
歴史が好きで歴史を学ぶと、どの時代も争い、戦いばかり・・・
歴史や戦争について知れば知るほど、人間にも、自分の未来にも希望が持てなくなった

大学生の時、環境問題に関心があって、環境サークルに入り、北海道やアメリカ東海岸の国立公園で環境ボランティアをした
壊れそうな地球の環境を保持するには、人間がいないほうがいいという結論に行き着いた
だから、摂理に出会った大学3年の自分は人間が大嫌いだった
あまりに愚かなこと、恐ろしいことを繰り返してきたから、滅びるしかないと思っていた
でも、自分も人間だから・・・・心が苦しかった
そして、神様はいるはずがないと思っていた
もし神様がいるなら なぜ戦争が起こるように放っておくのか
なぜ罪もない子供たちが悲惨な目に遭っているのを放っておくのか
なぜユダヤ人があれほど大量に無惨に殺されるようになったのか
胸の奥には強烈な絶望と怒りがあった
もし神様がいるとしても
人間とは関係ない存在、人間には関心がない、人間に対して冷たい存在だと思っていた
摂理に来て、聖書の御言葉を聞く前も聞きながらも
「神様がいて、人間を愛していると言うなら、なんで」と質問した
一生懸命説明してくれて、少しずつ頭ではわかってきても、心はなかなか納得できなかった
それでも、鄭明析牧師の神様についての話を聞き続け、小雨が降り続くように心に染み込み、見えてきたのは、神様の視点だった
歴史も、戦争も、人間から見たものしか知らなかったが、少しずつ神様を知るようになり、自分の認識が転換され
自分の視点ではなく、神様の視点に立ってみると、過去に起こったことも、現在起こっていることも、全く違うように見えることがわかった
神様は、愛するから、人間を創造されたこと
地球も自然万物も、人間のために創造されたこと
そして、神様は、いつも人間を見つめ、愛しておられること
神様は、今も昔も人間を守り、働きかけてくださっていること
人間が神様を裏切っても裏切っても、神様が忍耐し続けて人間を愛しておられること
戦争が起こり、罪もない人々が死ななければいけないのには、理由があること
神様の人類に向けられた深い愛、深い悲しみ・・・・
神様と人間の間に何が起こったのか知るようになり
神様の心情を知るようになり
私が知らないから、神様を誤解していたとわかった
そして、時間がかかったけれど、私の心の中にあった怒りも絶望もゆっくりと溶けていった
神様を誤解していた私が、神様に出会い、神様を正しく知るように教えて下さったのが、鄭明析牧師が伝えてくれた御言葉だから
今も、もっと正しく知り、正しく生きられるように、その御言葉を聞き続けている
神様を全く信じていなかった私、神様を誤解していた私が、日本人ではない鄭明析牧師先生に出会うようにさせ
その御言葉を聞き続けるように働きかけて、神様を知るようにさせたのは神様の御働き
神様を信じて、神様と共に生きる生を許諾してくださっている神様に心から感謝している
(2016年8月の記事をリライトしました)












