摂理ママのあっこです
以前、ママ友に
聖書の話をしたとき
ママ友に言われた一言、
「聖書は関心があるけど、
知識として知りたいだけ。
日本には日本の宗教があるのに、
なんで外国の神様を
信じないといけないの?」
また来たか(^^;
この質問というか、
この考え方、
日本人にありがち、
あっこママも摂理に来て
チョンミョンソク先生の
御言葉を聞くまでは
同じように考えていました
今はこう叫びたいです
「神様は全人類の神様だ!
日本人の神様も外国の神様もなぁい!!」
日本人が
キリスト教でいう「神様」を信じるべきだと
あっこが考える3つの理由をあげます
(1)日本の「神」とキリスト教の「神」は概念がちがう
(2)日本人にこそ必要な自分の軸ができ、自分の人生の問題が解決する
(3)日本人が神様との経緯がある民族だから
(1)日本の「神」とキリスト教の「神」は、概念が全くちがう
日本にキリスト教が入ってきたとき、
「神」という言葉を使って
訳したことにより
混同されることになりました。
日本の神道で言う「神」は
その時点の人間が
理解できないことを総称しています
雷や地震が理解できないときは、
雷や地震=「神」が怒っている、神の祟(たた)り
→「神」を恐れる
→「神」を鎮める
→「神」を拝む、ということになります
科学が発達してくると
雷は電気だし、
地震は地殻の動きなので
「神」の領域からははずれます
そのため
科学が発達してくると
神道の「神」の領域は徐々になくなり、
人々の心から信仰心が薄れます
それでも
人間は死ぬと「神」になるとか
木や石などに「神」がいるような
多神教の「神」を
なんとなく信じているような
信じていないような、という
日本人が多いです。
なんとなく、
よくわからないけど
お守りを持ち歩き、
祠(ほこら)があれば手を合わせる
そして、
子供の健康や
商売繁盛、無病息災など
何かを祈願するときだけ
祈るご利益信仰 etc..
効くんだか
効かないんだかわからないけど
「とりあえず」手を合わせておく
そうすれば、たたってこないでしょ
そうすれば、いいことあるかもね
少なくとも
摂理に来る前の
私の「神」への信仰心は
そんなものでした(苦笑)
さて、
キリスト教でいう「神」とは
どういう存在か
神様は唯一絶対神であり、
創造主です
人間が存在しているのと同様、
神様も存在しています
聖書にも神様が自らの存在をこう語っています
「私はあってあるものだ(自ら存在している)」
そして、
はっきりとした意思と
明確な目的を持って
天地万物、人間を創造されました
科学が発達することで、
神様の創造の法則が明らかになります
神様は法則の神様です
神様が
どのように宇宙、万物を創造されたか、
宇宙はどのような法則で運営されているか
なぜ宇宙を創造し、地球を創造したか
なぜ最後に人間を創造されたか
そもそも、
なぜ人間を創造されたか
摂理の御言葉を聞けば
明確にわかります
そして
聖書と科学が
相反するものではないことがわかります
科学がこれだけ発達しても
人間は、
自分の手足1本、
髪の毛1本も作ることができません
試験管の中に雲を作ることができても
空に雲を浮かべることはできません
地震、台風をなくすことはできません
神様の領域だからです
日本人の「神」と
キリスト教の「神」は
全くちがう存在、概念です
日本人の「神」を信じれば
創造主「神様」を信じなくてもよい、
ということは決してありません。
(2)自分の軸ができ、自分の人生の問題が解決する
日本人は
「人と同じ」であることに
安心する傾向があります。
そのため、
人の価値観、人からの評価に
ただ流されて生きがちです
人の目を気にして
人に振り回されて、
つまり他人の価値観に
支配されて生きているといえるでしょう
でも、人の価値観、評価は
時に従い変化するし
確たるものではありません
そのように生きるとき、
絶えず人生の問題を抱え、
漠然とした不安と恐れを
抱いて生きるしかありません
だから、とりあえず
いい学校へ行き
いい会社へ行き
いい家に住み
お金に不自由なく生き、
いい人と結婚すること
いい子供が生まれること
その子がいい学校へ行き、よい結婚をして ….
それが人生の幸せのような気がして
追い求めているうちに
人生の日が暮れてしまいます
でも、人生の目的はそこにはないし、
はたから見て成功したように見えても
本人の悩みは続き、
人生の問題は解決しません
以前、摂理の韓国の牧師さんが
御言葉を伝えている中で
確信に満ちて、
はっきりと告白していました
「人生の問題は霊的な問題がとけないことです。
私は28年前、高校生のときに
摂理に来ました。
それ以来、人生の悩みがありません。
芸能人もうらやましくない。
しっかりわかれば
金持ちもうらやましくない。
人生で一番大事なのは
霊の問題を解決することです」
霊といっても
幽霊のような
心霊現象のような
そういうものが浮かぶのが
日本人の多くだと思いますが、
そういうものとはちがいます
人は必ず自分自身の霊魂の問題を
解決して生きなければなりません
あなたの人生、
何のために生まれ、
何のために生き、
死んだらどうなりますか?
どんな名誉を享受しても、
どんな富を得ても、
死んだら終わりです
墓場まで持っていけません
チョンミョンソク先生が
教えてくださる御言葉を通して
神様と出会い、
神様を知り、
神様を愛して生きるとき、
人生の目的がはっきりとわかり、
人生の問題が解決します
(3)神様との経緯(思い出)がある民族
日本はキリスト教徒が少ないです。
人口の1パーセント程度と言われています。
日本はキリスト教宣教が難しい国だと
言われています
一方で、
殉教者(信仰を守るために命を失った人)が
20万人とも言われており、
ローマに次ぐ殉教者を出した国だそうです
今は、キリスト教徒が少ない国ですが、
長い時の中では
神様との経緯が深い民族です。
今年放映のハリウッド映画「沈黙」でも、
キリシタン迫害と殉教、棄教について
描かれています
この日本の地に、
目に見えない神様のために、
一番大事な自分の命を投げ出すほど
一途に神様を信じ、
愛した人たちがいた、
それは誇るべきことです
私の個人的な考えですが、
日本人は
本当の神様に出会ったときに
純粋に一途に
神様を信じ、愛することができる
国民性を持っているのだと思います
一方で、
それほど神様を愛し、
神様が愛した人たちを
残忍に殺した人たちも
同じ日本人だったことは
子孫として、深く悔い改めたいです
命を投げ出して神様を愛する人々、
愛する彼らの苦痛を見て、
神様は涙を流されました
そして、先祖たちの義によって
その子孫たちに
働きかけておられると思います
神様との深い経緯がある国、
この日本人こそ、
神様が必要な民族だと思います
(参考)
ローマの次に殉教者が多い国・日本-過去から摂理へ
http://sol21.net/2014/08/28/2483
あっこ