私が見たキリスト教福音宣教会

摂理宗教の教祖:鄭明析(チョンミョンソク)牧師について


今回は教祖がテーマです。

日常ネタが多いブログではあるのですが。

今回は、少し宗教色のある濃い内容にも触れてみようと思います。

摂理を知らない方にとっては、

「噂の摂理の教祖はいったいどんな人なんだ?」

と気になる方が多いようです。

 

ばたばた結婚戦記ブロガーの共通点は、

「摂理で結婚した人たち」ですから。

長く教祖を見て接してきた人たちとも言えます。

切っても切れない話題ですね、実は。

 

摂理の教祖について気になる方、知りたい方は、是非お立ち寄りください。

 

【摂理とは】

私達が日々通っている教会は日本では「摂理」と呼ばれる事が多いです。

正式名称は「キリスト教福音宣教会」

英語では・・・Christian Gospel Mission(CGM)

 

「摂理」という言葉は、普段聞き慣れない方も多いのではないでしょうか?

それもそのはず、キリスト教用語なんですね。

日本人にとって、とっても縁遠い宗教・キリスト教の用語ですから

聞かないですよね。普段は。

キリスト教用語で

世界のすべてを導き治める神の意志・恩恵。

創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。

このような意味合いがあります。

 

摂理の教会で聞いているメッセージ(御言葉)でもよく「摂理」と表現される部分が多いので摂理会員も自ら「摂理」「摂理の教会」「摂理の会員」「摂理のメンバー」など使うことが多いのが現状です。

 

『摂理』って、とっても素敵な意味の呼び名だなと思います。

(昔は全く神様を信じていなかった私ですが、今は信じている立場としてそう思います)

 

”この教会のすべてを神様が導いてくださっている!”ということですから。

 

人が人の意志でつくる教会ではなくて、

神様の意志・ご計画の通りにつくっていける教会って良いと思います。

 

私が摂理を気に入った一つの理由はここにあります。

”人”ではなくて、”神様”が中心というところ。

(元々、宗教嫌いで、神様の『か』の字も信じないような私でしたが、

正しい聖書の読み方、神様についてを学んで分かったら、神様は本当に素敵だということが感じられました。

ちっぽけな自分の考えの数億倍も大きな考えを神様は持っていることを知ってとにかく驚きました。)

 

詳しくは摂理公式サイトを御覧ください。

あとオススメは摂理の最新情報を知ることが出来る摂理NAVI

こちらは、世界の摂理事情や摂理の気になるあれこれが見つかるサイトです。

 

そして本題、摂理の教祖についての話題に移っていきましょう。

 

【摂理の教祖:チョンミョンソク(鄭明析)牧師】

摂理の教祖は誰ですか?

摂理の教祖は誰ですか?と聞かれたら

「鄭明析(チョンミョンソク)牧師です。」と答えますが、

摂理の教会に通っているわたしたちにとっては、そもそも教祖という認識がとっても少ないです。

なぜって、摂理は人を中心にしているわけではなく

創造主神様を根本にしているからです。

ひたすら考えの中心が”教祖”なのではなく、”神様”なのです。

教祖である鄭明析牧師自身も”私を中心にしなさい”と教えるのではなく

”ただひたすら神様を中心にしなさい”と教えてくれました。

 

【鄭明析(チョンミョンソク)牧師についてのサイト・記事紹介】

鄭明析(チョンミョンソク)牧師公式サイト

※↑チョンミョンソク牧師については、公式サイトがありますので是非こちらも御覧ください。

 

鄭明析牧師紹介 摂理

※↑摂理の公式サイトでも紹介されています。

 

鄭明析牧師のベトナム戦争エピソード紹介

チョンミョンソク牧師のベトナム戦争体験記【無線機の事件】

戦後70年に考える〜鄭明析(チョンミョンソク)牧師とベトナム戦争のお話し〜

※↑ベトナム戦争でのエピソードも沢山ありますがその一部を紹介した記事です。 

 




【わたしが見た摂理の教祖鄭明析牧師:28年教祖を見てきた女性の立場から:2児の母あっこママさん

他の方々が見た摂理の教祖について書いていただいた内容を紹介します。

まずはあっこママさん。

25年ほどチョンミョンソク牧師を見てきた先輩です。

 

摂理は怖い宗教?摂理の教祖は怖い人?

摂理のあっこママです

 

私は大学生のときに摂理に出会い、

摂理メンバーと結婚して、

2人の子供を育てています

 

摂理に来て25年ほど経つので

人生の半分以上、摂理にいます(^^)

 

外側から見れば、

摂理って怖い宗教に見えるかもしれない。

 

なぜか?

韓国の新興宗教だから。

 

摂理の教祖と言われる鄭明析(チョンミョンソク)先生が

御言葉を伝え始めて40年、

数百年の伝統がある古い宗教と比べれば、

はるかに歴史が浅く、いわゆる新興宗教と言える。

 

そして、

キリスト教といえばアメリカかヨーロッパなのに、

鄭明析(チョンミョンソク)先生はアジア、それも韓国の男性。

どうせキリスト教を信じるなら、欧米の方が良くない?みたいな。

 

もっとも、

キリスト教=欧米というイメージがあるが(日本では)

キリスト教の始祖イエス・キリストは

イスラエルのユダヤ人なので、ヨーロッパではなく、

今や欧米以外の地域にもキリスト教が盛んな地域はあるので、

キリスト教=欧米、というイメージは

日本人の勝手な思い込みなんだけど。

 

でも、新興宗教だし、教祖が韓国の人だというだけで、

摂理が怖い、あやしい宗教だ、と

疑いたくなる気持ちは同じ日本人としてよくわかる。

 

あっこママも、

25年以上前、高校の友達に誘われて、

摂理の教会のイベントに参加して、

聖書の話を学び始めた頃は、

「韓国の新興宗教?なんかヤバそう。

変なところに来ちゃったかも。

怖いところに足を踏み入れちゃった。

どこで逃げようかな」と思っていた(^_^;)

 

あっこさんは現実的、かつ典型的な日本人だったので、

聖書の必要性を全く感じなかった。

ひょんなきっかけで学び始めた聖書の話だけど、

いつやめて(逃げて)もいいと思っていた(^_^;)

 

ちなみに、25年以上、摂理を見てきて、

いろいろなことがあったし、

いいことも悪いこともあったけれど、

新興宗教、新興宗教の教祖と聞いて想定するような

怖い思い、あやしいこと、おかしいこと、変だと思うようなことは

全くなかった。

 

もちろん

一個人が全てを見て知ることは全くできないけれど、

どこかがおかしければ、

どこかしら、感じるものがあるだろうし、

いつからか、あらわになってくるだろうけれど、

そういうことは全くなかった。

 

内側から見れば、

摂理のメンバーは

赤ちゃん、子供から、学生、社会人、退職後の年配の方までいるけれど、

普通の生活を送っている普通の人たちの集団、

ただ神様と主を愛して生きている人たちだ。

 

詳しくは、

摂理で被害?新興宗教に対して親が恐れる3つのこと

で検証したので、そちらを見ていただきたい。

 

 

摂理の教祖と言われる鄭明析(チョンミョンソク)先生は、

もともと熱心なクリスチャンで、

9歳のときから聖書を読み、

青春時代の全てを聖書の研究と祈りの生活に捧げた方だ。

 

食べるものにも事欠く貧しい中で育ち、

ようやく得たお金も全て献金してキリスト教の教会を建て、

道端で会う人々、子供たちに神様のことを伝え、

教会に通うように福音を伝え続けた。

 

貧しく汚れた子供達の鼻水を拭いて可愛がってあげて

精神的に病んでいる人や貧しい人を家にとめ、

寝食を削りに削って、祈り、奉仕し、聖書を研究し続けた。

 

今のように豊かで恵まれた時代になっても、

今どき珍しいほどストイックに

純粋に神様を探し求め、真理を探し求め、

神様を愛して、勤勉に生きておられる。

 

聖書は、読めばわかるような簡単な本ではない。

たしかに世界的なベストセラーだが、

ページ数も多いし、言葉も難解だし、

そもそも意味がわからないことが多すぎる。

 

「人の子が雲に乗ってやってくる」と聖書に書いてあるが、

雲は水蒸気の集まりで、

人間が乗れないことは科学的に証明されている。

 

「祈りによって太陽が止まった」と聖書に書いてあるが、

太陽が止まると言われても、地球は太陽の周りを回っているし、

もし仮に太陽ではなく、地球が止まったとしたら、

重力の関係で一瞬にして全てのものが宇宙に放り出されて

地球が壊滅状態になることは科学的に証明されている。

 

「死んだ人が生き返る」と聖書に書いてあるが、

亡くなって間もない人ではなく、

ずいぶん前に亡くなった人も生き返るとあるが、

すでに遺体も朽ちた多くの人がどうやって生き返るのか。

ゾンビ映画のようなおぞましい状態になるのか、

科学的にも現実的にもあり得ないことになってしまう。

 

それで、

科学が発達し、様々なことがわかってきた現代では

聖書は非現実的な話、奇跡の話としてとらえられている。

 

でも、鄭明析(チョンミョンソク)先生は

聖書の1つ1つの言葉を純粋に信じ、

イエス様が再臨されるのを待ち焦がれた。

 

「イエス様が空から来るというけれど、どの雲に乗っておられるかな」と

小さいときから、いつも空の雲を眺め、

イエス様が降りてきたかと思って、山の上まで走って行ったり、

近所で火事があれば、

主が火で裁かれるために来たのかと走っていき、

イエス様が再臨されるのを待ち続けた。

 

あまりに純粋だからこそ、

メシア イエス様に会いたくて、

神様を知りたくて、

聖書をひたすら読み、研究し、探求し、

真理を読み解くことができた。

 

昔も今も、鄭明析(チョンミョンソク)先生は、

聖書を通して、神様がおっしゃりたいことを

正確に伝えてくださる。

 

独自の解釈書や聖書外伝なるものを作ることなどせず、

御言葉を伝えてくださるときは、

いつも聖書1冊を持ち、ひたすら神様の話をされる。

 

これほど純粋に神様を愛し、

純粋に神様の御心を追い求める方はいないだろう。

 

結論として、

鄭明析(チョンミョンソク)先生は悪い方ではないし、

摂理は怖い宗教ではない、と断言できる。

 

摂理にきて、そのような素晴らしい方に会えたことが

私の人生で最高のプレゼントだったし、

鄭明析(チョンミョンソク)先生についてきたことが

私の人生で最高の機会をつかんで、一番成功したことだ。

 

人生の折り返し地点を目の前にしているあっこママが、

本当に感謝していることが

肉体100年のためだけに生きる人生でなく、

神様と共に生きる人生に転換できたこと、

そのように神様と主が働きかけ、守ってくださったこと!

 

摂理に来ることができて、

鄭明析(チョンミョンソク)先生に会うことができて、

日々、神様を正しく信じることができるよう導いてくださる

神様と先生に心から感謝している。

 

(写真は全て去年春に撮影したもの)

 

摂理の教祖、鄭明析先生は〜よく人の話を聞く方〜

摂理の鄭明析(チョンミョンソク)先生について、

覚えているのは、

よく人の話を聞く方だな、ということです

 

宗教の指導者といえば、

自分がしゃべりたいことだけ話して、

もしくは上から命令して、

人の話はそれほど聞かない、というイメージがありませんか?

私はそういうイメージがあります

 

でも、鄭明析(チョンミョンソク)先生は

驚くほど、人の話をよく聞かれる方です

 

20年ほど前、

チョンミョンソク先生が日本に来られた時に、

集まったメンバーたちに向かって

「悟ったことを話してみて」とおっしゃいました

 

そして、1人1人、悟ったことを1つずつ話しました

 

深いことを話す人も多かったけれど、

みんなが笑うようなことを話す人もいました

 

長年神様を信じて信仰生活をしてきた先生にとっては、

あまりに当たり前のことや、

基本的なことすぎる、ということが多かったと思います

 

でも、先生は話をさえぎったり、

バカにしたりすることは決してなく、

1人1人が悟ったことについて、

ちゃんと聞いて、ちゃんと受け止め、

説明をしてくださったり、

ほめてくださったりしていました

 

例えば

「神様が存在するんだということを悟りました」

とある男性が話したとき、他の人たちは大爆笑しましたが、

先生はおっしゃいました

「神様の存在を感じたりはするけれど、根本的に悟る時があるから、一生懸命信仰生活をしないといけないよ。それは神様が悟らせてくださる時に、悟れるんだよ」

 

「神様と先生はどんな時でも私を愛してくれることを悟りました」と

ある女性が話したとき、先生は答えました。

「神様は疲れることなく、あきることなく、いつも愛してくださるんだよ」

 

先生は1人1人の話を聞いて、

神様とその人がもっと深くつながるように話され、

決して、先生自身を高めようとすることはなく、

ひたすら神様の話をされていました

 

人数が多かったので、途中からは、説明をしないで聞いておられ、

30分以上、数十人が悟ったことを聞いた後に、

御言葉を伝えてくださいました

 

ほかのときも、鄭明析(チョンミョンソク)先生が

メンバーたち(メンバーじゃない人たち)の

話に耳を傾けておられることはたくさんありました

 

日本に来られたときは、

まず日本の指導者たちが報告することを

「うん、うん」と聞かれて、状況を把握され、

状況が許せば、個人の話に耳を傾けられ、

その人に必要なことを話してくださいました

 

ものすごく懐が深く、

あたたかい方だという思い出があります

 

私が摂理にいる理由

 

私が摂理にいる理由は、

人生の師(先生)である

鄭明析(チョンミョンソク)牧師に

出会ったからです

 

チョンミョンソク先生は、

キリスト教福音教会(摂理)を

始められた方なので、

一般的には「創始者」「教祖」と言われる

立場になります

 

「教祖」っていう響き、

なんか嫌な感じを受けますね

 

いろんな宗教の教祖のイメージがあるためか、

 

私自身、

「教祖」というと

信者の上に君臨し、

富栄誉を思うがままにし、

豪邸に住み、

たくさんの本を出版したり、

多くの女性をはべらせ、子供を産ませ etc

みたいな、

とっても汚ないイメージがあります(><)

 

最近の新興宗教が起こした

数々の事件や騒動により、

世間一般の人が持っている

「教祖」のイメージが

さらに悪くなってしまったのは

否めないと思います

 

なので、摂理の教祖といえば、

「また悪いやつか」と

自動的に考えてしまい、

無意識で嫌悪感を抱いてしまうのは

十分わかります

 

ちなみに、

世界四大宗教の「教祖」といえば

(「教祖」というよりは「創始者」と言われますが)

 

キリスト教のイエスや

仏教のゴータマ・シッダールタ(釈迦)

イスラム教のムハンマド(マホメッド)

(ヒンドゥー教は創始者がいないとされている)

 

彼らには、今では、

汚ないイメージはありませんが、

彼らが生きていた当時は

今のように聖人として

とらえられていたかは疑問です

 

少なくとも、

イエス様は罪人として

当時の極悪人に課された

十字架で処刑されたのですから、

今のイエス・キリストとは

全く違ったイメージを

当時の人たちは持っていたことでしょう

 

 

実は、摂理のメンバーの中では、

鄭明析(チョンミョンソク)牧師が「教祖」、

という認識、呼び方はありません

 

だから、

「摂理の教祖、鄭明析(チョンミョンソク)牧師」と

言われると、違和感を感じてしまいます(笑)

 

摂理のメンバーにとって、

鄭明析(チョンミョンソク)牧師は

「摂理の教祖」ではなく

「先生」です

 

人生の師、先生であり、

神様のことを、

聖書のことを、

自分のことを、

人生のことを、

はっきりとわかりやすく教えてくださる方、

 

それで、尊敬を込めて

日本のメンバーも海外のメンバーも

チョンミョンソク牧師のことを

「先生」と呼んでいます

 

でも、私(僕)は人生の師、先生なんて

探してないよ、

何か知りたければ、

ネットで調べればいいし、

本を読めばいいし、

勉強すればいいし、

自分を教える人の必要性は感じていない、

そういう方は日本人には多いと思います

 

元々、あっこママも

人生の師、先生を探していたわけでは

ありませんでしたし、

人生の師を必要だと思ったことは

ありませんでした

 

小さい頃から

本を読むのが好きで、

歴史が好きだったので、

人生について考えることが

よくありました

 

歴史上の人物を見ると、

志をなすまでは

その崇高な理想にあう美しい生き方ですが、

 

志を成し遂げると

徐々に、自己愛、自己保身に走り、

富をかき集め、

自分の親族を重臣にし、

自分の子供に政権をゆずることにやっきになり、

 

年をとるにしたがい、

人間のあさましい本性をさらした

醜い生き方をし、

最期は、病気や家臣の裏切りにより、

醜く、みじめに死んでいく

多くの歴史上の人物たち・・・

 

志半ばで倒れた人達の方が

成功した人達よりも

ずっと美しく、いさぎよい人生じゃないか。

 

成功するってなんだろう

 

成功しないより

成功した方がいいはずなのに、

こんなに醜い姿をさらすなら

成功しない方がいいんじゃないか・・・

 

一体何が良くて、何が悪いんだろうか。

 

大学生の私は、

人間のおろかさ、狭さ、汚さに嫌悪感を感じ、

人間そのものに失望し、

人生に空しさを感じ、

人間にも、

人生にも何も期待していませんでした

 

気がついたら生きていたから、

勝手に生まれたから、

ただ生きていくだけ、

人生に希望を見出すことなど全くできませんでした

 

ましてや、人生の師(先生)を探すことなど

全くしていませんでした

 

たかが人間。

 

醜い人間の本性を持ち

いつ利己的になるかわからない他人に

自分の人生を託そうとも

委ねようとも

思ったことはありませんでした

 

どんな偉人とはいえ、

結局は死んでしまう無力な存在。

 

100年前には存在せず、

100年後にも存在しない人、

 

ある1人の人間を

人生の先生として

一生ついて行く人として

選ぶことなど考えもしませんでした

 

 

でも、

私が大学時代に出会った

鄭明析(チョンミョンソク)先生は

私にとって

特別な存在、

人生の師(先生)となりました

 

その理由は、

言葉で表すのが難しいのですが、、、、

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生が

人間として、

あまりに純粋で、

あまりに美しい姿だからです

 

容姿や体型のことではなく、その生が美しいのです

 

そして、

鄭明析(チョンミョンソク)先生が

神様が使われる方だと

感じるしかない出来事が

いくつもあったからです

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生は

有限な時間の中で、

限界がある生を生きるしかない

無力な人間でありながら、

その生があまりにも美しいです

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生は

御言葉を伝える時、祈る時は、

恐ろしいほどの迫力、

とてもカリスマ性のある方ですが、

 

リラックスして、

群衆の中にいらっしゃる時は

ただ普通のおじさんのようでした

 

偉そうに振舞ったり、

特別な待遇を強制することはなく、

 

みんなにすぐに混じってしまうから、

群衆の中に入ってしまうと

探すのが難しいくらい、

 

でも、笑っている人たちの中心には

いつも先生の笑顔がありました

 

自ら、あちこち歩き回り、

みんなを笑わせ、楽しませ、

お菓子や果物をみんなに手渡しで配り、

人々に仕えていらっしゃる姿が

目に焼き付いています

 

スポーツをする時も、

椅子に座って、

見物したり、

上から評価を下すことはなく、

自らコートに入って、

人々と一緒にプレーされました。

 

こっちのチームが終わると

次のチーム、また次のチーム、

 

みんなはゲームが終われば休めるけれど、

先生だけは休むことができず、

足が動かなくなっても

コートから出ずに

足を引きずりながらも

プレーを続けられました

 

韓国の月明洞で

開発をし、岩の造形を作っている時、

作業をしている人たちの

一番真ん中を見れば

先生がいらっしゃいました

 

クレーン車で吊り下げた大きな岩が降りてくる

まさに真下に

先生はいらっしゃいました

 

50歳前後の先生が

10代20代の若者たちと一緒に、

むしろ率先して、

一番危険な場所に立ち、

岩を登り、

自ら土を掘り、岩の真下で誘導し、

粉塵のなかでホコリまみれになりながら

働いていらっしゃいました

 

夜になって

ホテルに帰ろうと後ろを振り向くと、

真っ暗な月明洞で、

作業用のライトが照らす

その場所の中心にいらっしゃいました

 

いつも夜遅くまで続く作業の

中心にいらっしゃったと聞いています

 

そして、朝は誰よりも早く起きて、

神様にお祈りを捧げ、

集まってきた人々に

自ら御言葉を伝えてくださいました

 

そのあとは、

またみんなと一緒に

サッカーをしたり、

作業をしたり、、、、

 

あまりにハードな毎日を

過ごされていました

 

20代の私も到底ついていけず、

先生と一緒に過ごしたあとは

しばらく肉体を休めないといけないほど、

ハードな時間でした

 

それを

50歳前後の鄭明析(チョンミョンソク)先生は

休みなく、毎日毎日、

ずっと続けていらっしゃいました

 

すでに多くの人が従う

宗教指導者であった

鄭明析(チョンミョンソク)牧師、

 

命令すれば、

自分は動かなくても、

他の人にやらせることができる立場でありながら、

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生は、

自ら体を動かし、

自ら土を掘り、

自ら草を刈り、

自ら走り、飛び、

ボールを蹴り、

自らやり続けました

 

その先生の姿勢、姿は

いつでもどこでも

変わりませんでした

 

このときとあのときと

態度が違ったり、

この人の前とあの人の前で

態度が違ったりすることは

ありませんでした

 

こんな指導者は

宗教でも、他の世界でも、

まずいないと思います

 

それは

鄭明析(チョンミョンソク)先生が見ているのは、

人の目や人の評価ではなく、

ただひたすら神様だからです

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生が

神様のために生きておられるから、

その時間も

その考えや心も

全て神様に委ねて生きていらっしゃいます

 

神様が

一人一人を大事にして愛されるから、

鄭明析(チョンミョンソク)先生も

一人一人を大事にして、

貴重に扱ってくださいます

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生は

人間として存在していらっしゃるけれど、

その体は神様が使っておられると

感じました

 

人間は信用できない、と思っていた私も

摂理の御言葉を学ぶことにより

神様が存在しておられ、

神様が意志を持って

歴史を導いておられることを知り、

人間がなぜ創造されたのかを知ったので、

 

人間に対する嫌悪感、深い絶望感がなくなりました

 

 

そして、

私個人の体験として、

鄭明析(チョンミョンソク)を

神様が使っておられると

感じるしかないこともありました

 

20年以上前、

先生が日本に訪問されたとき、

東京から車で2時間弱のところで

鄭明析(チョンミョンソク)先生と日本メンバーたちが

みんなで泊まって合宿をしていました

 

みんなでスポーツをしたり、

御言葉を聞いたり、

楽しく過ごしていました

 

あるとき、

みんながスポーツをしている時に

私はそっと抜けました。

 

当時は親の反対で

あまり教会には行けなかったのもあり、

 

試合に参加するスポーツの選手ではなく、

ただ応援する人だったから

私はいてもいなくても

誰も気がつかない存在でした

 

誰もいない宿泊棟に戻り、

泊まっていた自分の部屋の

ベッドに座り、一人で祈りました

 

そこまで切実に祈ったことがないほど、

必死な思いで祈りました

 

当時、

行き詰まっていたことを

神様に告げ、

極的に祈っているうちに

 

急にぱーっと周りが明るくなり、

体も考えもふっと軽くなり、

祈りを終えました。

 

すっきりして

スポーツに戻りました

 

しばらくして、

誰かがやってきて、

「先生が呼んでいるから、先生のところに行ってね」

と急に言われました

 

当時はすでにそれなりに人が多かったので、

親の反対で、

あまり教会に来ることができなかった私のことを

鄭明析(チョンミョンソク)先生は

覚えておられるはずはないのに、

なんで先生が私を呼ばれるんだろう

 

首をひねりながら、

鄭明析(チョンミョンソク)先生がいらっしゃる

お家の窓から部屋の中をのぞいてウロウロしていたら(笑)

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生が

「あの子、呼びなさい」と言われ、

鄭明析(チョンミョンソク)先生がいらっしゃる部屋に入り、

直接、お話しすることができました

 

このタイミングで

そのできごと、

 

私が神様に対して祈ったことに対して、

鄭明析(チョンミョンソク)先生が答えられたとしか

思えない絶妙なタイミングであり、

忘れられない出来事でした

 

私が祈っていたことは

他の誰も知らなかったはず、

ただ祈りを受け取られた神様だけが

ご存知だったはずです

 

でも、そのタイミングで

鄭明析(チョンミョンソク)先生にお会いできたのは、

あのお祈りが届いたから、という

確信がありました

 

お祈りを受けとられた神様が

鄭明析(チョンミョンソク)先生の肉体を使って、

直接会ってくださった、

 

それがわかった時、

鄭明析(チョンミョンソク)先生がどういう方か

悟りました

 

そのあともいろいろあり、

サタンの惑わしにより、

大きく道をそれることもありましたが

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生の後ろに

神様がいらっしゃること、

 

摂理史に神様が

働きかけておられることに対する

確信は揺らぎませんでした

 

あまりに醜く

ちっぽけな存在の人間ですが、

神様が使われるとき、

神様が共にされるとき、

すばらしく美しい存在になります

 

人間が一人でいるときは

弱く、醜い存在になるしかないですが、

 

神様と1つになったとき、

まるで人間が神になったように

神秘的で美しい存在になります

 

そのことを鄭明析(チョンミョンソク)先生が

身をもって教えてくださっているから、

私は今も摂理にいて、

神様のことを学んで生きることが

最高の喜びと希望になりました

 

いま、

鄭明析(チョンミョンソク)先生が

罪人としてつかまり、

刑を受けておられることも知っています

 

私がよく知っていた人が

その裁判に関わったこともあり、

彼らが何を訴えて、

先生がどんな罪に定められたのかも知っているし、

マスコミや司法の世界で

どのように言われ、裁かれているかも

知っています

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生が

どのような場所にいらっしゃって、

どのような生活を強いられているか、

 

そして、その不自由な生活のなかで

何をされているのかも

知っています

 

もう10年以上、

いや、もっと長い間、

鄭明析(チョンミョンソク)先生には

お会いできていませんが、

 

鄭明析(チョンミョンソク)先生が

今も、同じように極限のなかで

神様のために

神様の仕事をしながら

生きておられることを、

御言葉を通して知り、

実体験を通して知っています

 

誰かに言われたからではなく、

自分が体験して悟ったから。

 

今までも、これからも、

世間でなんと言われようとも、

私は、鄭明析(チョンミョンソク)先生を

人生の師として尊敬し、

 

摂理(キリスト教福音教会)の中で、

鄭明析(チョンミョンソク)先生の

伝えてくださる御言葉を聞き、

信じ、行なって、

神様を愛して、

神様の新婦として自分を作りながら、

一生、永遠まで生きていきたいと

心から願っています

 

(↓こちらの記事も参考にしてください)

「2016/11 宗教嫌いの私が摂理にいる理由 〜鄭明析先生」

鄭明析(チョンミョンソク)牧師と私の人生:3児の母まーさん

「ありがとう」と「ごめんなさい」がちゃんと言えれば大丈夫👌

まーさんは神様の愛を悟るまでは、しっかりと謝ることができなかった。プライドが許さないとかではなくて、相手の気持ちを読み取ることも、自分の気持ちを表現することもうまくできなかったのだ。

神様の愛を悟る前のまーさん(以下まー)はいつも叱られる理由がわからなかった。
父の激怒のきっかけはたいてい兄が作る。
母は「やめてよー!」といいながら、ますます父の怒りを増長させるか、どこかにいなくなってしまう。
わけわからず兄弟3人並ばされて兄、姉、まーの順に叩かれた。ゴルフではドラゴン賞の常連さんで気の荒い土建屋の父が容赦なく叩く。
骨折までした記憶はなかったから、一応加減はしていたと思うが、往復ビンタだから倒れることもできない。

首の骨への影響は現在に至るまででている。
「よし」と言われるまでそこに並んで立ってないといけない。

漠然と、この様な惨状に至るきっかけを作った兄が悪いと思っていた。
父は「いつも怒らせるほうが悪い」というから、幼い時は、ごめんなさいと心から謝ったことがある。勇気をふりしぼって父の前に立った。

「ご、ごめんなさい、、」

耐えられなくなってしゃくりあげて泣いた。父は笑って頭を撫でてくれたが、あまりにも残念な経験だ。

 

父が激怒する理由は、かなり後になってわかった。
正当な理由はなく、仕事の事とか、別の理由で単に機嫌が悪かったということだ。
同じ事をしていても、昨日叱られなかったのに今日は逆鱗に触れる。
いつどんな理由で怒り出すのか分からない父に対する不安。

まーは幼さのゆえにそのことを受け入れてしまった。
何が良いことで悪いことなのかわからずに育った。

ただ、良心に従って生きたいとだけ願ったが人との距離の取り方がわからなくなった。

🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥
「ごめんなさい」
に類する言葉を人生の中で両親から聞いたことがない。

 

もうひとついうと「ありがとう」という言葉もほとんど聞いたことがない。

父親から、「ありがとうと言いなさい」と、無理やり言わされたことは何度もある。
言わないと怒り出すが言えば言ったで「何だその言い方は」と噛み付いてくる。
要するに機嫌が悪いから怒る理由が欲しいのだ。

 

「ごめんさい」を何に対して言ってよいのかわからなくなった。
人の目を見ることができなくなった。
何かのときに「人間は『ありがとう』と『ごめんさい』がちゃんと言えれば大丈夫。」という話を聞いた。

 

深い絶望感を抱いた。
そして、自分は、幸せだと思うことにした。
実際よく自分のことを「自分は幸せだ」と口に出して言った。不安だった。
ある時親友が怒った。理由がわからない。
人を振り回すなと言う、まるでわからない。

高校生の時は楽しく過ごした反面、色々苦しいことも沢山あった。
幸せだけど不安。限界を感じていた。

誰にも理解されない。
まーは20歳になったら精神が分裂して気が狂うのだろうな、漠然とした予感をもち、その時が近づくのをカウントしていた。

鄭明析(チョンミョンソク)牧師との出逢い〜

覇気もなく生きていた19歳の時に摂理に出会った。

嫌々ながら断ることもできず教会に連れていかれ、聖書を勉強させられた。(まーはいつでも被害的^^;)何度か断りきれずに聖書の話を聞くうちに、聖書には善と悪が、はっきりと書かれていることに気がついた。

 

聖書を善悪の基準にすれば私は不安から解放されると考えた。

 

まーは、幸せを装う重病人だったので、自分の問題や罪が何かを認識すらしていなかったとこからのスタートだったため、神様の愛を素直に受け入れることができるようになることさえ、だいぶ後になってからだった。
それでも神様は辛抱強くまーを育ててくれた。

 

聖書をわかりやすく体系的にまとめた摂理の講義を完成させたのは鄭明析 (チョンミョンソク)牧師だ。
この真理はあまりにも価値が高いものだからと、一切の値をつけることなく、労を惜しむこともせずに私たちに伝えてくれた。

 

深い祈りと真理の研究と実践なしには成し得なかった。その内容と鄭明析牧師の生き方に矛盾がないのが本物の証だ。鄭明析牧師はずっと私の先生だ。
鄭明析牧師は一体どのような環境と境遇の中で聖書の深い真理を悟るに至ったのか?

 

幼かった頃から青年期の頃、当時の韓国は、極度の貧困に喘ぎ、狭くて古くてナンキン虫だらけの家には、本といえば教会から配布された聖書しかなかった。

幼い頃から聖書を繰り返し読む中で、人間に対する神様の片思いを悟った。長い歴史の中で神様は最高の愛で人間を創造したのにもかかわらず、人はその愛を幾度となく裏切る。罪を犯した人間を叱るも許し栄えるようにしてあげまた裏切られ許して、、。

 

鄭明析牧師は世界で一番神様を愛して、その愛を人々に伝えることで神様の涙を拭って差し上げようと決心した人だ。
驚くほど純粋だが、実際に会ってみたら本当に純粋で、今に至るまで純粋でびっくりする。

若き日の鄭明析牧師は神様の無念を晴らすために、まずは自分自身が真理を悟りたくて、有名な牧師がいれば何十キロも歩いて会いに行った。
しかし聖書の疑問を質問しても、はっきりと答えてくれる牧師は皆無で、むしろ「そんな事を聞くなんて信仰が悪い!」、と、叱られさえした。

答えが見つからないので、「イエス様が直接私を教えてください」と、極寒の山の洞窟に入り、ひたすら聖書を読み、夜通し祈った、答えが知りたくて、聖書を読むうちに気がつくと若き日のうちに2000回読んでしまった。

神様の願いをかなえて差し上げる、その決心をひと時も忘れずに、むしろ時が経つほど驚くほど次元をあげて、自ら実践し、どんな波風にも屈せず耐え抜き、決してとどまることをしなかった。

、、、。このことは聞いた話をそのまま話しているのではない。25年間共に生きてくれたがこれ程までに真実な人が一体どこにいるのだろうか!
🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌
私に「ありがとう」「ごめんなさい」を教えてくれて、真実な思いで生きる道をひらいてくれたのは、鄭明析牧師だ。

児童相談所、虐待防止センター、カウンセリング、彷徨い続ける

まー(神様の愛を悟る前のまーさん)は結婚して子供が産まれた。
自分に子供が愛せるか不安だった。
旦那も同じ家族の悩みを抱える人だった。

真理はあっても健全さを知らない家庭の文化が染み付いたふたりだから家庭の中に苦労が絶えなかった。
あまりにも問題が多すぎて何が問題だかわからなかった。だけど、神様は、多くの助ける人を送ってくださり、まーの小さな家族がひとつひとつ問題に目を開き、受け入れて、解決する方法を辛抱強く教えてくれた。

生育家庭の問題に気がつくこと自体が実はとても難しいことのようだ、結構な数の専門家のお世話になったが「よく気づいたね」と、よく言われた。

楽しくやりがいのあることも多かった。
自分の人生の解決された分野は喜びそのものだった。

 

しかし、未解決事項の残る分野、つまり愛の問題、自己肯定感が影響する分野の育児はあまりにも孤独で絶望だった。
問題の答えを求めてあちらこちらへとさまよった
精神科医が勧める家族問題に関する講習を受けて自分が直面している問題の構造を学んだ。

わかってみて、やるせなくて、毎日壁を蹴って叫んだ。
蹴りすぎて壁に穴が空いた。
常に呼吸困難気味で2週間ほとんど声が出なくなった。
カウンセリングもたくさん受けた。

 

講習とカウンセリングで、準備体操ほどの問題は溶けた。
15回ほどの講習の最終段階で、学んだ結論は、、、。
安全でない家庭で育ち、幼少期に愛を得られなかった人は、その虚しさと一生付き合わなければならない
!?!?!?絶望を感じた。

 

まーのなかに眠っていた怒りが爆発した。
兄が大学生になって家を出るまでは陰湿ないじめや刃物による脅しを受けていた過去を思い出す。

余りに辛くその思いを便箋に書くことも悔しく思え、書き損じのハガキ3枚に紙を貼って書きなぐって送りつけた。
親にも何か送ったようだがよく覚えてない。
単なる小道具として使っているのはわかるが、怒った父がまーに包丁を向けるので、長女の教育上の危機感を覚え、両親と絶縁した。

末っ子長男の時は妊娠出産を隠した。
しかし子供の成長は1分も休む事なく、自己憐憫に浸っている場合ではない。

 

まーの家庭は完全に閉ざされていた。
いつ暴発するかわからない父があらわれるといつも空気がピリピリとした。母親はまーが慕っている教師の批判や、友だちの母親に対する愚痴を無分別に口にする人だった。まーは母親の言う事が正しいと思っていた。
大人になってから、その中に信頼できる出来る人達がいたと気づいた時には遠く離れてしまい。償うこともお礼を言う事もできなかった。

 

とにかく、自分の家庭はオープンにして、子供達には信頼できる大人、健全な大人になるべく関わってもらおうと考えた。
保健士さんに相談もお願いした。精神科の世話にも随分なった。
保育園の園長先生が理解してくれて相談に乗って支えてくれた。
子育て関連の講演会を見つけるとせっせと参加した。
児童虐待防止センターのミーティングにも毎週通った。
医療の支援制度も受けた。

歩くのも辛いほど体が痛くなったり、精神的にもう無理という時には数カ月単位で、社会協議所の家事支援サービスを受け一緒に家事してもらいながら、ボランティアさんに話相手になってもらった。

 

末っ子長男の産後は長女と次女を42日間児童相談所に預けた。
施設の職員には、会いに行くとかえって子供達がホームシックになる言われ、一度も面会に行かなかった。
あまりにも気が遠くなるほど世の海を彷徨った。

鄭明析牧師が「親は産んでくれただけでも感謝だ」と教えてくれた

 

鄭明析牧師が、ある時、「親は産んでくれただけでも感謝だ」と話した。

スパーンと頭を殴られたような衝撃を受けたが、それまでの人生の最高の希望の言葉となった

 

そして、「神様に罪を告白して悔い改めなさい」という説教が繰り返し伝えられ目安の期間として3年半が与えられた。
目が覚めた。私は何に答えを求めていたんだ!と気付いた。

 

カウンセリングや保健センターや自助グループのミーティングの参加の方はさっぱり忘れて、ようやく心を神様にだけ向けて祈った。

人生の中で嫌だった事、消したくても消せない恨み、自分と親族のが持つ罪と思うこと、すべて神様に告げて、悔い改めた。

やりなさいと言う時にやったので神様の力を受けて、先生のように何度でも根気強く祈ることができた。
神様はひとつ残らずうけとってくれた。

 

どうしてわかるか?今まであちこち彷徨う中で、どうやっても解消することができなかった深い恨みの感情、自己憐憫が、虚しさが、正直な心で神様に告げるほどに溶けてしまったのだから否定ができない。

 

 

3年軽くかかった。この悔い改めで、驚くほどの涙が流れた。

 

 

鄭明析牧師はだれかの罪までも自分の罪と思って真剣に悔い改める祈りを徹底的にする。
腐って死ぬしかない人が生きるようになるからだ。

 

まーは気が狂ったと家族に言われていたらしい。
後で、姉があの時まーが壊れてくれてよかったといった。
そうでなければ自分が壊れていたと。

3年半の悔い改め期間の最期の日に、前日に徹夜して書いた父と母と兄への手紙を投函した。
便箋に、今まで心を痛めることをしてしまったことへの謝罪の意を書いた手紙だ。
悔い改めの祈りの期間がなければ決して書く事ができなかった手紙だ。

姉が言うには、受け取った父と母は、(いつものように)的の外れたことを言って喜んでいたそうだ。

兄嫁からは3年半前の私からの恨みのハガキ以来、兄も問題に向き合ったという主旨の報告と安堵の返事が来た。

ある時、先生が、「今まであなたたちを傷つけたことがあるならば本当に申し訳なかった」と、謝った。
感謝するばかりで謝ってもらうことなんて!と誰もが思ったが、あまりの真実の謝罪に涙した。

そして、「教会の指導者はついてくる人の心を傷つけたことを謝りなさい」と言った。
牧師が主日の説教の最中に、講壇から降りて半分泣きながら深く頭を下げた。
そして「親は子供を傷つけたことを謝りなさい」と言った。

 

まーは誰よりも子供達を傷つけた。
数日の間、時期を伺って長女に向き合って真剣に頭を下げて詫びた。
謝ることの前提には罪がある。
罪のある人が真実に謝ることは悪から善に渡ってくることだから本当に難しい。
神様の力を借りて謝った。

本当に申し訳なくて泣き声になった。
幼い長女もちゃんと聞いてくれた。
真実な悔い改めに成功すると、人はその時から全く違う世界を生きるようになる。

 

このことを身をもって教えてくれたのは先生だ。
👩‍👩‍👧👨‍👨‍👦👩‍👩‍👧👨‍👨‍👦👩‍👩‍👧👨‍👨‍👦👩‍👩‍👧
まーは自分の父と母に絶望していた、なにかを期待するのは完全に諦めていた。
自分を愛することすらできずに、うわべだけの平和だけで生きるつもりでいた。

ガンのように、30年も、まーの心を蝕んだ両親への恨み、寂しさ、ふとしたと瞬間に襲ってくる悲しみは、完全にどこかへ行ってしまった。

恐怖と不信感の向こう側にあった父や母の素顔にも素直に目を向ける事が出来るようになった。

もちろん、悔い改めが完全に完了したわけではなく、まーさんの心には悪い心がまだまだ残っていて、その方面では戦いの日々だ。
神様の癒しに限界はない。自分さえ諦めなければ絶対に勝利する希望に満ちた戦いだ。
🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊
私を神様の愛に繋げて幸せで満たしてくれたのはくれたのは鄭明析牧師だ。

 

【わたしが見た摂理の教祖鄭明析牧師:24年教祖を見てきた男性の立場から

次は男性の立場からです。

3人のお子さんをもつmojiさん。

摂理に来て24年!男子3人の父:mojiさん

おはようございます、摂理に来てから24年になったもじです(^_^)/

いやー月日が流れるのは本当に早いですね!!

私が摂理に出会ったのは青山学院大学の2年生の時でした♪。

当時の日記に、

『摂理に出会ってから3か月ですが、20年生きてきた人生より本当に幸せです♪』と書いていました。

浪人時代にどうして自分は存在しているのか、生きている価値があるのか、人生の生きる意味を知りたくて、たーくさん本を読みました。

しかし、答えを見つけることができず、ナイフで手を切ってみたりもしました(゚ロ゚)。

でも怖くて少し傷ができる程度にしか切れませんでした(笑)

だから、大学に入れば、幸せが待っているとはずと未来に希望をもって生きていました。

しかし、大学に入って、スキーサークルに入って、エンジョイのはずでしたが、やはり人生が虚しく感じていました。

だから、英会話教室に通ってみたり、ビリヤードをしてみたり、サーフィンをやってみたりもしました。

でも、人生の虚しさから解放されることはありませんでした(>_<)。

そんな時に摂理に出会いました!!

摂理に来て本当~に良かった!!と思います♪。

24年たった今も、本~当に毎日が幸せです!!(^_^)v

摂理に来る前、どうして自分は存在しているのか、生きている価値があるのか、人生の生きる意味を探していた自分に摂理は、すべての答えを与えてくれました。

摂理の教祖(創始者)は誰ですかと聞かれたら、

鄭明析(チョンミョンソク)先生ですね。

キリスト教福音宣教会(摂理)の創始者、鄭明析(チョンミョンソク)牧師の公式サイトはこちら

摂理では、教祖と呼ぶことはないですがね(笑)

教祖と言われると、ものすごく違和感を感じてしまいます。

だって、日本の教祖という言葉の響きは、個人的にはなんか悪~いイメージじゃないですか!!

でも、摂理の教祖(創始者)の鄭明析(チョンミョンソク)先生は、本当に素敵な方です♪。

私に「摂理の教祖(創始者)の鄭明析(チョンミョンソク)さんってどんな人?」と聞かれたらですね・・・

私に「神様を教えて下さった方」「御言葉で人生の問題の答えをくださった方」

「神様を本当に愛している方(^o^)」・・・

摂理の教祖(創始者)の鄭明析(チョンミョンソク)先生がどれくらい神様を愛しているかというとですね。

神様をまるで人間の恋人と一緒に暮らしているように生活されています。

♪息する度にどうやって神様を喜ばせられるか考えているって♪(Sound Croud「私も先生みたいに」より)

という歌があるくらい神様を愛していらっしゃいます(笑)。

摂理の教祖(創始者)の鄭明析(チョンミョンソク)先生が話をされると神様のことがた~くさん出てきます。

だから、私も神様が大好きになりました♪。

神様に誤解していることも、摂理の教祖(創始者)の鄭明析(チョンミョンソク)先生の話を聞いたら、すべて解けると思いますよ。

今日も神様をどのように喜ばせられるのか、考えていらっしゃる摂理の教祖(創始者)の鄭明析(チョンミョンソク)先生のように、私も今日、何か神様を喜ばせることをして差し上げたいと思います♪。

摂理の摂理の教祖(創始者)の鄭明析(チョンミョンソク)先生に興味を持たれた方は、こちら(摂理(日本福音宣教会)公式サイト)

 

教祖とはどんな人?先生との違いについて:26年教祖を見てきた2児の父miyachanさん

 

摂理では『教祖』という言葉を聞かないので実はよくわかりません。

このブログを読んで、

じゃあ、あなたが先生といっているその人は誰なんだ?

と疑問を持たれる人がいますかね。

僕にとってチョンミョンソク先生は、神様を教えてくれる人です。

いつも先生が生活の中で感じた神様の話をしてくれます。

僕には神様が見えませんが、神様が見えない自分でも神様を感じるようにしてくれました。

ほんとに不思議です。

さまざま教えてくれる人はいますが、神様を教えてくれる人ってすごいなぁと思うのです。

 

日本人が神様の存在を認めることは簡単ではありません。

生活には困ってないし、神様は見えないし、神様がいなくても生きてきたからです。

 

しかし、僕は20歳の時、人生の問題にぶつかりました。

朝起きて、ご飯食べて、会社にいって、帰ってきて、お風呂に入って、寝る。

これを繰り返している時、ものすごく虚しさに襲われました。

休みになれば友達と遊んで忘れらましたが、また月曜になれば同じ生活。

人間ってなんで生きてるんだろ~。と。

その時の上司が40歳くらいでしたが、同じく夜遅くまで働いていました。

ある日ふと考えました。

この生活があと20年間続くんだなぁ~と。

 

何のために生きるのか、わからなかった人生。

まるで心が死んでいるようでした。

そんなときに生きることについて教えてくれました。

神様について教えてくれました。

 

ほんとに不思議な感覚でした。

 

そして20年たった今でも教えてくれています。

これだけ教えてもらったのにまだ教えることがあるってこれまたすごいです。

先生がいつも学んでいるからです。

先生の書いた言葉に、、、

自分が自ら善を行なっても、神様が行なわれたのだ。神様が自分を創造なさって、善を行なうように創造なさったからだ。

これ、すごい言葉だと思います。

このことが分かって生きるなら、人間が謙遜になるしかありません。

人々はみんな楽に生きることを希望する。そうするためにはそれだけ走りなさい。

行なってみたからこそ、話せる言葉です。

このような言葉が、先生の生活から滲みでています。

こういうことを教えるのが教祖でしょうか。そうだという人にとっては教祖になりますね。

でも、僕はなんか違うように思います。

表現するなら、やはり先生が正しいと感じます。

日曜だけでなく、毎朝、このように教えてくれる先を生きる人、先生です。

今日も神様を伝える言葉を書き続けるその言葉を学び、行なってもみて、確認し、

僕も神様について教えられる人、人生を教えられる人になりたいと思います。

 

実はまだ会ったことのないその姿:masanoさん

私は摂理に来て13年目になりますが、鄭明析先生に直接はお会いしたことがありません。
なので、私からは直接見た鄭明析先生の姿をお伝えすることはできないのですが、13年摂理を走って来た立場として、鄭明析先生の姿をお伝えできればと思います。

 

私がこれまで摂理を走って来て感じた鄭明析先生の姿は、本当にただひたすら聖三位(神様、聖霊様、御子)を中心にされる方であり、愛と許しと寛容の方だ、ということです。

 

どうして直接会った事がないのにそのように感じるのか、というと、何よりもまずは鄭明析先生が送ってくださる御言葉であり、あとは摂理のメンバーたちの変化していく姿です!!

 

私たち摂理のメンバーは、理由は様々と思いますが、人生を生きながら虚しさを感じたり、限界を感じたり…、そういった経験を通して、御言葉を聞いて、本当にすごい!自分もそのように生きたい!と思って摂理を走っているかなと思います。
(御言葉の内容をここで全て紹介することはできないので、詳しくは摂理公式のホームページやブログ等をご覧ください。)

しかし、御言葉を聞く前に生きて来た体質や習慣はすぐには直すのが難しいので、時には御言葉通りに実践できずに、兄弟同士心情的にぶつかってしまったり、誤解を招いてしまうことがあったり、私自身も兄弟から心情的に傷を受けたりすることも正直ありますし、逆に傷を与えてしまったこともあるだろうな…とも思います。

鄭明析先生がそういった状況を直接ご覧になることができれば、直接行って解決してあげることができると思うのですが、今では全世界に福音が広がり、御言葉を聞くメンバーも世界中にいる状況で、全てのメンバーの問題に直接対面して解決してあげようとしたら、体がいくつあっても全然足りません…。何より今、鄭明析先生は獄にいらっしゃるので、直接行ってあげることもできません…。

なので、鄭明析先生は各教会毎、地域毎に指導者を立てて、報告をお受けになります。
獄にはパソコン等は当然ありませんから、紙とペンで直接お手紙を書いてくださり、その問題を処理してくださいます。その数、多い時はなんと一日に何百通にもなるそうです…!

指導者だけでなく、全てのメンバーの立場に立って正確に問題を解決するために、メンバー一人一人のお手紙も全て読んでくださり、神様に祈り、答えをもらいながら一つ一つ問題を解決してくださり、必要なメンバーにはお返事もくださり、時には励ましてくださり、叱ってもくださりながら、私たちを導いてくださいます。

特に私の所属している地域は過去に色々と問題があった時期があり、集中的に問題を解決していただいていたことがあります。
その経験を通して、その全てがひたすら真実な愛でしかない、と感じます…(T-T)
普通なら、獄にいるだけで、毎日正常な生活も送れず、嫌気がさしてしまい、他人のことなど考える心の余裕はないはずなのですが、それどころか、ご自身のことを差し置いて、普通に考えればどこの誰かもわからない他人である私たちの声を全て聞いてくださり、人生の問題を解決してくださる、というのが、本当に言葉で表現するのが難しいですが…、凄まじいことだなと感じます。

そういったことを通して、私自身も本当に変わりましたし、周りのメンバーたちも本当に変化していく姿を見ました!
あくまで私の目から見た鄭明析先生の姿でありますが、鄭明析先生がどのような精神を持って生きていらっしゃるかは、鄭明析先生が祈って神様からもらっている御言葉を聞いたらきっとわかっていただけるのではないかと思います!
是非一度、鄭明析先生が伝えてくださる御言葉を聞いて見てください(^ ^)

最近鄭明析先生は作曲をたくさんなさっています。
その中の一曲である「愛と許しと寛容だ」の歌詞をご紹介させていただこうと思います。

「愛と許しと寛容だ」
天地万物 人々
神は愛のため創造なさった
愛と許し、寛容だ
神様 今日も話される
聖霊様 今日も感動くださる
主は今日もお救いになる
ここで足りないもの 他で満たすから
許しと寛容の心だ
愛と引き上げの生だ
神様 聖霊様 御子
天のよう広い心だから
全世界愛で治められる

 

【最後にひとこと】

 

いかがだったでしょうか。

少しだけ摂理の教祖について知ることができたでしょうか。

本当でしたら、直接お会いしてお話できたらもっと良いと思うのです。

インターネットでの発信ということで表現力の足りなさで

正確に伝わらない部分もあるのではないかと思います。

私達は、摂理の教会に通っている方、通っていない方、

摂理を知らない方に至るまで

日常の中の些細な出来事を通じてでも元気になっていただけたらという気持ちで

このブログを発信しています。

日常の美味しいもの子育ての記事にも是非遊びに来ていただけたらと思います。


ABOUT ME
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ひろこママ
佐渡ヶ島(新潟)出身☆東京在住*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭* 22歳の時に高校の同級生に紹介され、摂理で聖書を学ぶようになる。 宗教大嫌い、神様も認めてなかったけど、摂理の御言葉が面白くて教会にも通い始める。 同じ信仰を持つパートナーと出会い結婚☆ 家族で摂理の教会に通っています。 背が高くて優しいごうパパ☆元気いっぱい中学生の娘三人で賑やかに過ごしています。 6年間の専業主婦を卒業して今は正社員。 お弁当・料理ネタ多め。