摂理の教会に来ると、いきなり礼拝に参加することはあまりなく、最初に「Bible Study(バイブルスタディ)」を聞くことが多い
名前だけ聞くと「なんだか宗教っぽくて嫌だ」と思うかもしれないけど、実際に聞いてみるとまったく違う
最初は、聖書の話っていうから、奇跡や魔法みたいな話かって思ってたけど、ちがった
聖書の「せ」の字も知らない日本人の私たちが、新しい分野への入門として、基本を学ぶことは、今考えれば、当たり前だと思う(笑)
「Bible スタディ」といっても、学校の授業のように知識を詰め込むことは全くない
いろいろな面から
神様とは、聖書とは、キリストとは、など話を聞く
Bible Studyは、歴史についての話も多く
昔の人々の姿や思い、その人生、成功と失敗
そして彼らを助け、働きかけた神様の姿が、まるでドラマのように語られる
モーセ、ダビデ王、イエス・キリスト、ペテロ…
数千年前に生きた歴史上の多くの人物たちが、自分の隣にいるように感じ、彼らと悩み、苦しみ、喜びを共にする
過去に起こったことが、今の自分へのメッセージのように伝わってくる
Bible Studyを聞く人たちは
人生も、年月も、国も文化も違い、自分がぶつかってきた問題も違うから
それぞれの感じ方が全く違い、ヒットするポイントも違う
それぞれが「自分の話だ」と思える話がある、それがとても不思議
そう、Bible Studyは洗脳じゃない(笑)
私は、最初はしぶしぶ教会に行ったけど(笑)
読書好きだったのもあり、今までなかった見方、視点がおもしろくて、途中からは次の話が楽しみで、知りたくて、自分から聞きに行ったっけ
同じ歴史上のできごとでも
「人間の視点」から見るのと
「神様の視点」から見るのとでは
まったくちがって見える、ということだった
人は、その時代に縛られた視点、価値観で、結果や表面だけを見て判断してしまいがちだけど
神様から見ると全く違う
BibleStudy を聞くと
神様の視点でものごとが見える瞬間がある(もちろん、全部じゃないよ)
それは、過去だけじゃなくて、今現在、世界で起こっていることもそう
この前、主日礼拝の御言葉を聞いているときに
思わず「えーーーっ!」と叫びそうになった
ある事件に関して
「私」の視点と
「神様」の視点が全く違っていたから
そして、なぜそうなっているのか
神様の視点に立つと、過去から現在、未来まで
とても筋が通っていて、理由があることがわかった
聖書は、キリスト教を信じる人たちだけではなく
人類に対して向けられた神様のメッセージ
人間であるなら、誰でも
BibleStudy 、そして摂理の御言葉を聞くと
嬉しい驚きを感じることでしょう!
(2016年11月10日の記事をリライトしました)












