宗教二世を育てるときに、私が大事にしてきた4つのこと

「宗教二世として育つ子どもたちに、自由はあるのだろうか?」

大学生と中学生、思春期真っ只中の二人の子を持つ母親として、この問いについて改めて考えてみた

一般的に「子育て」における親の価値観や優先順位は家庭ごとにまったく違うように、それは「宗教二世」であっても同じだ

同じ教会に通っていても、家庭ごとに考え方はまったく異なる

前提として、教会からは「二世はこのように育てなさい」という強制や指示などは一切ない(アドバイスや相談はあるけど)、各家庭で自由に育てるように、親に任されているのだ

そして「自由」という概念そのものも、家庭や人によって全く違う

同じ教会に通っていても、考え方も、優先順位も、価値観も、人生観も人それぞれ、過去には周りと比べて悩んだり、子育てをめぐってぶつかり、心に傷を負ったこともあった

だから、これから語るのは、あくまで「私」が大事にしたいと思っていること

毎日子どもと向き合っていると、現実は理想通りにいかないことばかりだ

特に小学生から中高生の夏休みはバタバタの頂点、家でだらだらしている子どもにイライラする毎日で、何か偉そうに語れるような現実なんてない

その中でも、子供を育てる時に私が大事にしてきたことは何だろう

大学生の娘と中学生の息子——思春期真っ只中の二人を育ててきた20年間を振り返ると

失敗や試行錯誤を繰り返し、何度もドツボにはまりながらも、大切にしてきた「軸」があることに気がついた

親の思う通りに育てるのではなく「子どもが自分の人生を自分で選択する」ようになってほしい、という思い

母親になってからの20年間、私が試行錯誤しながら大切にしてきたのは、この4つ(3つ+1)のことだった

(1) 親が周りに流されないこと 

(2) 子供を認めて、信じて、待つこと 

(3) 子供自身が選ぶ自由を尊重すること 

そして

(4) 愛を伝えること

完璧からは程遠いけれど、なぜこの4つに行き着いたのか、私の体験談とともにお伝えしたい

(1) 親が周りに流されないこと

乳幼児の時はマイペース、比較的のんびり気楽に過ごしていたけれど、幼稚園以降は、周りが見えてきて窮屈さを感じるようになった

幼稚園に入ったら

英語、体操教室、プール、体操、サッカーや野球、バレエやチア、ピアノやバイオリン、小学校受験のお教室などなど

周りの子供たちは忙しく習い事をしている子も多く

自分の子が何もできないように感じて、焦りを覚えた

(過去記事より 女の子と男の子の習い事)

ママ友との付き合いも、楽しいし、心強いけれど、わずらわしさもあり

ボスママが気に入らない人を次々と仲間はずれにしたり、ママ友グループが真っ向から対立して喧嘩をしたり、ドラマさながらの修羅場も目の当たりにした

(過去記事より 幼稚園ママのもめごと)

子供たちは純粋でかわいいけれど、ママ友たちの世界が窮屈で

自分の子供と他人の子供を比較をし

習い事や、受験(有名な学校に入るかどうか)など、他人の芝生がとても青く見えたりして

自分の子供そのものを見ることができなくなり

自分の子供ができないこと、足りないことばかりが目に入り、心がもやもや、ざわざわし、落ち着かない気持ちになることが多かった

だから、ある時から、周りに流されないようにしようと心がけた

ママ友たちとも適度に付き合い、ある程度、価値観が近いママ友と仲良くした

それは今も同じ

たくさん習い事をさせたり、インターナショナルスクールに入れるほどの経済力はないし

かといって、子供を1対1で楽しませる能力もないから

公園や、自然の中、動物園や水族館など

神様が創造したものを見せて体験させようと、できる範囲で、たくさん親子でお出かけをした

教会の中でも

価値観は家庭ごとに、実に様々

さまざまな場面で「え?」と思うこともあれば、私が良かれと思ってやったことが批判されたこともある

幼稚園や学校のママ友も

教会のママ友やメンバーも

他の人の価値観、人の目に縛られて、人に左右されて生きるのはイヤだから

自分の子供が、何ができるかできないか、何を持っているか、持っていないか、ではなく

神様が任せてくださった子供たちだから、神様が与えてくださった個性を発揮して幸せに生きてほしい

神様にお祈りして、神様に聞きながら

家族で相談しながら、我が道を行こう

他の人とは違う価値観で生きても大丈夫

そのように思えるには、ある程度の強さと、達観という名の「諦め』が必要だった(^_^;)

それは、子供が思春期に入った今はもっとそうだ

(2) 子供を認めて、信じて、待つこと

これが本当に難しくて、今もできないことも多く、後悔ばかりだけど(^_^;)

大事だと思って心がけていること

日々の生活の中で

まだ見えないその子の個性を認めて、その子の時が来るのを信じて、その時まで待つこと

これがとても難しく

自分の忍耐力のなさと器の狭さを痛感することが多い(^_^;)

例えば….

子供たちが集まった時

楽器やスポーツなどに秀でている子

積極的な子

大人と話すのが好きな子(愛嬌がある子)

反応が良い子

そのような子はよく目に留まるし

大人たちからも褒められることが多い

学校で、手を上げて発表する子の方が、先生に褒められることが多いのと同じだ

うちの子たちは、そういうタイプではなく、よく言えば周りをよく見るタイプ

小さい時から、どこかに連れて行っても、ただ見ているだけのことも多く、何のためにここまで来たのかと、もどかしく思うことが多かった

教会でも…

お祈りが得意な子

よく発言する子

聖書をたくさん読む子

夢や魂で天国に行ったと話す子

絵や歌や楽器が上手な子

サッカーが得意な子(うちの教会は、サッカーが好きな大人と子供が多い)

大人たちから見て評価しやすい子

すごい!と褒められる子たちがいる

どちらかというと

やはり、うちの子たちは、そういうタイプではない

「やってみれば?」と声はかけるが、やるかどうかは本人次第

無理にやらせても逆効果だと、ある時点で気がついて諦めた(^_^;)

子供たちは

神様が本人に与えた才能と個性があるから、いつか、それが見つかりますように

祈りながら、葛藤しながら、目の前のことにバタバタしているうちに時間が過ぎていった

チタちゃんは高校生になってから、花が開いたように活動的な子になった

学校の部活や課外活動にリーダーとして参加し、学校を飛び出して世界を広げ、高校の担任や校長先生にも一目を置かれた

教会の活動にも

積極的に参加して、舞台でダンスを踊ったり、歌ったり、生き生きと忙しく過ごし、その勢いのまま、大学生になっても、毎日忙しくしている

小さい時は、長い人生の一コマにすぎず、あの焦り、イライラは意味がなかった、とわかった(^^;;

神様は一人一人を個性的に創造された

同じようにお出かけしても

チタちゃんは動物が好きになり

トラ君は乗り物が好きになった

チタちゃんは、じっくりじっくり見るタイプ

小学校中学年、和歌山のアドベンチャーワールドに行った時も大好きなパンダの前で、雨の中、1時間以上もじっと見ていたこともあった

一方、小さい時から乗り物が大好きなトラ君は、お目当ての電車を見たくて、何台も何台も待ち続けて集合時間に遅れちゃうことも(^_^;)

ここ数年、外出時の交通係はトラ君で、交通手段、経路など全てお任せできて頼もしい

子供たちを見ていると

神様が与えた個性に優越はないから、大人の価値観で勝手に判断してはいけないと思う

それでも、普段の生活では、不必要な一言を口にしてしまって、後で後悔する(^_^;)

思春期の子供たちと接していて

この「認める、信じる、待つ」が

本当に大事だと思う

今も、子供たちが思いっきり反発するのは、私がそれができないときだから

(3) 子供自身が選択する自由を尊重する

子供は経験値が少ない分

わからないことも多く、判断できないことも多いから

親が決めることも多いけれど

幼い時から、小さな選択は、本人がするようにしてきた

幼稚園の時から、その日着る服、はく靴は自分で選び

何を待っていくか、お出かけ先でどこに座るか、何をするか、暇な休日にどこに行くか

可能な限り、子供に決めてもらう

「次は、どうしたい?」と聞くのが習慣になり、今では、私が自分で決められない人になった(笑)

小学校に入ったら

旅行に行く時の自分の荷物は自分で準備する

(小学校低学年のときは手伝ったし、

 小学校中学年までは、学校の修学旅行だけは必ずチェックし

 小学校高学年以降は、頼まれたら確認

 中学生以降は、確認を頼まれることもあまりなくなった)

習い事も、本人が続けて嫌がったものは、退会した(さすが、その時の気分では退会しません)

例えば・・・

うちの教会の男子は、サッカーをやってる子が多い

トラ君の小学校の友達は、野球をやっている子が多い

男の子なら、サッカーか野球やるのが当然と思っているようなパパさんママさん、教会メンバーもたくさんいそう(笑)

トラ君もサッカーを習わせていたけれど

トラ君を見ていたら、サッカーで試合をすると、いつもボールと逆の方に逃げている

トラ君に聞いたら、小さな声でぽつり

「サッカーボールを蹴るのは好きだけど、試合は、みんな集まってくるから、いやだ」

トラ君の話と様子を見ていて

平和主義で、人と争うのが嫌いだから、敵と味方が殺気立って密集するのが嫌なようなので、トラ君と話して、サッカースクールはやめて、区のテニススクールに通い始めた

(教会のサッカーは平和なので、今も参加して楽しんでいる)

テニスは、敵はコートの反対側にいるから心地よいみたいで

その流れか、中学は卓球部に入り、顧問の先生に信頼され、いつの間にか部長になっていた(笑)

チタちゃんの高校は、自分で選んだ中高一貫校

中学受験の時

私は情報を集め、条件を比べて、彼女に合いそうで、親が許容できそうな学校いくつかを見つけ、本人と一緒に見に行き

その中で、自分に合いそうな中学を、本人が決めたのは、小6の11月だった(ギリギリになり、私は大変だった・・・)

塾の先生に勧められた併願校(※1月の前受け校)も「どうせ行かない学校は受けても意味ない」から、「ここなら行ってもいい」と本人が思った学校だけを受験した
(※ 1月の前受け校=2月1日東京の中学受験の前に埼玉千葉では1月に中学受験があり、練習のために受けることを塾から勧められ、ほとんどの子が受けると言われている)

高2のとき、チタちゃんに

「学校の友達と話していると、うちの親はかなり自由だって感じる。
でも、自由は責任を伴うんだよね。そのことを今度、全校生徒の前でスピーチしてもいいかな?」と聞かれたっけ
(「どーぞ」と答えたけどスピーチしたかどうかは、聞いてない(笑))

中学3年から1年通った塾も、大学受験のために通った塾も

親に相談はしたけれど、学校の先輩に聞いて、自分で調べて、自分で足を運んで決め、親は手続き(と支払い)だけをした

大学受験のとき

親に相談はしてきたけれど、大学を受ける方法(総合型か一般か)も、志望校も併願校も全て自分で決めた(受験塾では親の面談はなく、本人が塾の先生に相談したらしい)

私が試しに「あの大学の方が良くない?」と言ってみたけど、「うーーん、この大学が好きだし、行きたい」と言った大学に通っている

親ができることは、子供の味方になって応援すること

例え、それが親が好ましいと思えない道だとしても・・・(それについては、後述)

(4) 愛を伝えること

愛を子供に伝えるのは、簡単なことではないけれど、とても大切なことだと思う

小学校の先生と話していたら、子供たちの問題の8割以上は愛の問題だと思う、と話していた

(愛の問題といっても、いわゆる異性との恋愛の愛ではない)

私の両親は、今思えば力の限り愛してくれたけど

私は、神様に出会うまで、愛を感じられず、愛を正しく理解することができず、愛の欠乏症で、愛されていることに自信が持てなかった

私は子供のことを、心の底から愛しているけれど

普段の生活の中では、生活を回すのが精一杯で、その愛を伝えることは難しい

神様を信じている私が親として一番すべきことは

「神様も親も、あなたのことをとても愛している」と

伝えることだと思う

でも、口から出る言葉は

「これを食べなさい!」

「早く起きないと遅刻するよ!」

「ちょっと!早く、早く!」

「宿題やったの?」

など、愛には、ほど遠い言葉ばかり(^_^;)

1日の終わりに反省することばかりの日々だ…

私が知っている神様は

太陽のように、いつも強烈な愛を降り注ぎ

夕日のように、優しく穏やかな愛で包んでくださる

私が何かができるからとか、

私が何かを持っているからとかではなく

私の存在そのものを認め、受け入れ、愛してくださっている

その上で、私がもっと成長することを願い、個性を認め、個性通りに導く

うまくできないこと、失敗することもたくさんあるけれど

悔い改めれば(悔い改め=反省)

広い空のような寛容さで許し、時を待って、機会を与え、またやろうという感動を与え

状況や環境を整えて、私が自分の力を発揮できるように助けてくださる

神様の存在に目が開かれ

神様の御働き、愛を正しく知ることができたら

誰でも神様の深い愛に感動し

神様を愛するようになると、私は確信しているから

親が伝えられる限り

子供に神様の愛を伝えていきたいと思っている

(実際の生活の中では、かなり難しいけれど)

そして

もし子供たちが正しく神様の愛を感じられないとしたら

それは

親が、周りにいる神様を信じる大人たちが、うまく神様の愛を伝えることができなかったから・・・

目に見える世界で生きている子供たちが

目に見えない神様を信じ、愛して生きることは

簡単なことではないけれど

目に見える親や

周りの人たち

万物(自然、生き物、物事、現象など)

様々なことを通して

子供たちが

自分が愛されていることを確信して、愛することを喜びとする、愛に満たされた幸せな人生を生きてほしいと願っている

もし子供が教会に通わないと言い出したら・・・

自分が信じている宗教を子供たちにも信じて欲しいかと聞かれたら

答えは Yes ! 

自分がいいものだと思って信じているから、愛する子供にもいいものだと思って欲しい

だから、子供が「教会に通わない」と言ったら、とても悲しいし、苦しいと思う

小学校低学年までは

子供は親が喜ぶことをしたいと思うから、そのような葛藤はなかった

でも、小学校高学年から

親に対して反抗したり、嫌悪感を示して顔をしかめたりして

「うるさい!」とか

「ばばあ!」とか

言われるようになった(^_^;)

私が悲しくなったり、怒るのを見て

「だって、そういう気持ちになるんだもん」とチタちゃんは解説してくれるので、子供が健全に成長している、と思いつつ、寂しく、力が抜けることも多い

いろいろなことに反発して「教会に行かない」と言われる可能性がないとは言えない、と思っている

だからといって、人の心は自由だから、何かを信じることを強制できるものではない

教会に通おうが、通うまいが

大事な愛しい娘だし、大事な愛しい息子だということは変わらない

「自分の人生だから自分で決めるしかない」

その一言に尽きると思っている

親ができることは、ただ神様に御心通りになるように祈ることだけ

そして

子供に神様の愛が伝わるように

親を通して

少しでも神様の愛を感じられるように、子供によくすることだと思う

私自身が、親がひいた線路の上を走ってこなかった

聖書を学び、神様と出会ったとき

親はNOと言って、大学生の私を認めず、信頼せず、力づくで阻止し、行動を制限して、教会に行くことを禁止したけれど

神様に向かう私の心を止めることはできなかった

私は、親がわかってくれないことを悲しく思ったけれど

親が言うことよりも

自分のやりたいこと

今思えば、神様がくださる感動通りの道を選んで、今まで、神様を信じて生きてきた

親は先に死ぬのが自然の摂理だし、子供の人生の最後まで責任は取れない

本人が自分の人生を生きるから

本人が神様と相談して決めるしかない

神様は人間に自由意志をくださったから

本人がその自由意志を持って

神様を信じ、愛して

神様と共に生きる生を選んで

人生の最後まで、神様を愛して生きてほしい

そう思っている

終わりに・・・

子供が成長するにつれ、社会人や大学生の子供がいるメンバーと話すことが増えた

あるパパさんは、子供の高校卒業後の進路について

「それで食べていけるのかって心配になるんだけど、本人が選んだことだから、お金を出すことにした・・・」

と、複雑な顔をしながら話してくれた

「子供は嬉しそう。自分がやりたいことを親が認めてくれたから、だろうね」

と話していたのが印象的だった

親が期待した通りの道ではなく

親が首を傾げるような道に行こうとする子供を

心の底から応援できるだろうか

身を粉にして働いて貯めた、それなりの額の資金を、こころよく投入できるだろうか・・・

正直、難しいなぁ

その時が来たら

心で受け入れられなくて、反対するだろうし

未熟な私は、その気持ちが態度に現れちゃうだろう・・・

でも

心の底からは無理でも

子供の気持ちと選択を尊重し、結果的に応援できるように、がんばるしかない、、、と思う(^_^;)

ここからが親として、信仰者として試される

正念場は続く・・・

(2022年8月1日の記事をリライトしました)

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あっこママ
東京出身、都内在住、早稲田大学 政治経済学部卒。【 女子大学生チタちゃん、男子中学生トラ君、ぱんだパパの4人家族】 宗教嫌いで旅行三昧だった大学生のときに「キリスト教福音宣教会(摂理)」に出会う。 15年以上、海外出張をし、夜中まで働くキャリアウーマンだったが、子育てを機に、今はテレワークで自分を作り中。 趣味は旅行、陶芸、食べること、お出かけ(水族館、博物館など)etc..。”子供とお出かけ情報”を多数掲載。