お久しぶりです。
子育て満喫中のまりもです!
今年もマイペースな更新ですが息長く頑張りたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします!
さて、ちょっと前に教会で初めましての方とオンラインでお話しする機会がありました。
そのとき「まりもさんの個性ってなんですか?」と聞かれ
なんだろう・・・?
個性といっても、どの角度から話すかで全然違うので
うーん、何をここで話すべきか??と考えていたら
何故か、摂理に来たばかりの頃は他のメンバー、いわゆる兄弟姉妹を心から愛せなくてもがいたという話が出て来てしまいました。
そのあとに、他の人に「私ってどんな人ですかね?」と振ってみると
「まりもさんていったら、身を粉にして人に尽くすって感じなので、、むしろさっきの昔の話を聞いてびっくりしました」
と言われてしまいました。
私はもともと人によく接するのは好きな方ではあります。
でも、そうするとすぐに自分が疲れてしまって辛くなってしまうということを繰り返していました。
摂理に来た時、それは自分のコップに少ししか水が入っていないのに、他の人に分けてしまってすぐに空になるのと同じだと言われました。
まず自分が神様から満ち溢れるほどの愛を受けて、溢れた分を注げばいいのだと。
すごく衝撃でした。
救いというと、正直日本人は特にピンとこないと思います。
自分もそうでした。
でも
「自分をもっと好きになれる」
「性格をよくできる」
「より良く生きられる」
こういうワードだったら?
救うっていうと、
まーちゃんはレスキュー隊が好きなのですが
救助とか、救命とか
そういうイメージですよね
でも、まさにこれなんですよ
「どうしようもない性格」「生きにくさ」「満たされない思い」「報われない辛さ」
そういう人生の辛さに「苦しんでいる」
状態からの
「救い」
摂理で受けた救い
簡単にいうと、私がまず受けたのはそういうものでした。
でも、まず自分が愛を受けないといけないと言われたものの
愛を全拒否。
自己肯定感がめっちゃ低かったので
自分なんかが愛されていいわけない、的な感じで
兄弟姉妹がよくしてくれるのも拒否していたり
摂理に来たばかりの頃は結構極端なこともしてました。。
さらに、表面的な付き合いよりも、もっと踏み込んだ人間関係になるので
しかもそれが自分が今まであったこともないようなタイプの人たちもたくさんいて
理解できないことがあったり、傷ついたり、いいことばかりではない
人間関係に悩むこともありました。
でも聖書には「隣人を愛しなさい」とあるから
愛そうと努力したのです
表面的によくするレベルじゃなくて
本当に愛することに挑戦したら
すごい大変だったんです。
でも、鄭明析先生は本当にそれをなさって来た。
敵までも愛した。
表面的によくするなら簡単なんですよ。
それはできて来たんです。
でも、本当に愛そうとしたらできなかった。
摂理に来ても長い間の葛藤でした。
時にはむしろ、職場の人間関係の方が楽に感じる時すらありました。
だって表面的でいいから。
それだけ、自分は上っ面で生きていたということも悟ったんです。
本当に、自分を変えないといけなかった。
でも、変えたら自分がいい、自分が本当に気持ちよく、楽に生きていける。
鄭明析先生は道で例えられました。
道を作るのは大変だけれども、一度作れはそのあとは車に乗って楽に行き来できる。
作るのが大変だからといって手をつけなければ、ずっと苦痛を受けながらそのあぜ道を歩かないといけない。
だからもがきながら、もちろんまだ完全とは言えないところもあるけれど
挑戦し、挑戦し、挑戦した時
気づいたら、本当に心から、できるようになっていた。
「人間一生、自分一人を作ることだ」
鄭明析先生のその言葉とその通りの生き方が、とても好きです。
今年も一層、自分を作る年にしていきたいと
決意を新たにしていきたいと思います。