(↑子供の運動会当日、神様と目が合いそうな、真っ青な空でした)
摂理にきて、神様と主に出会って、25年以上、
長年摂理にいて、主から御言葉を聞きながらも、
私が苦手だったのは、感謝と愛でした(^_^;)
まじかよ、って思う方もいるかもしれない
だって、
聖書も御言葉も、神様の愛について語っているし、
感謝は基本でしょって。
はい、そうです。
わかってるけど、
長年しみついた自分の性格、エジプト根性は
なかなかぬぐい去れず、
「あいしてます!」って告白するし、
そのときそのとき、
がんばって色々しているけれど、
人から見てわからなくても、
自分の心の奥底をよくよく見てみると、
そこにあるのは、、、
愛ではなくて、意地だったり、
コンプレックスだったり、
競争心だったり、
人に認められたいという気持ちだったり(^_^;)
だから、結局、苦しいことが多かった
何かをもらったり、いいことがあっても、
その時は「ありがとうございます!」と
感謝できても、
すぐに当たり前になったり、
ときが経てば、忘れてしまったり
いいことがあれば感謝できるけれど、
何かあると、
人の小さな発言、態度1つにさえ
すぐに、どんっと気持ちが落ちて、
不平不満が頭の中にいっぱいになって、
口からも出てきたり(最悪だー)
それで、ある時から
「摂理が学校だとしたら、
私の苦手科目は感謝と愛だなぁ。
感謝と愛って大事なのに(T . T)」
と、ずっと思っていた
このことを最近、大学生の女性メンバーに話したら、
「えーーー」と目をまん丸くしてたけど(笑)
4年前の2015年を境に、
自分の考えの中で大転換が起こり、
神様の私1人に向かう愛を
今も、過去もたくさん体験していたことを
祈りの中で、鮮明に思い出し、
その愛を強烈に悟るようになった
神様から全人類に向かう愛は信じていたけれど、
心のどこかで、
神様から私1人に向かう愛を
信じきれていなかった自分に気がつき、
主からの愛が確信に変わってから、
自分の中に、神様、主を愛する気持ちが
ドンドンふくらんでいった
もちろん、それまでもそれなりにあったけれど、
次元が上がると、それまでとは全く違った愛が
心の中からあふれてくるのを感じ、
涙が出るしかなかった
(私は割と泣かない人で、子供の卒業式、卒園式でも
泣かないクールなママ達グループに入ってます 笑)
そして、感謝。
まだバリバリの社会人で子供もいなかったとき、
感謝の心が弱い自分に危機感を感じて(笑)、
「心からの感謝ができるようにしてください」と
しばらくの間、祈った。
あるときから、
神様と主が自分1人、私の家族に
直接的に間接的に働いてくださったことを感じ、
過去の経緯を思い出すと、
感謝が心からあふれでるようになった
そして、
自分がいかに罪深く、弱く、情けなく、
人間がいかにみじめでちっぽけな存在か、
それを痛感するたびに、
そんな自分を、そんな人間たちを、
過去も今も、寛容な心で許し、包み、
抱いてくださり、愛してくださる、
神様と聖霊様と主の、
その深くて深い寛容さと愛に驚き、
感謝の涙がわきあがってくるようになった
今の私にとって、
感謝と愛は、
私に力を与えてくれる神様からのプレゼント(^ ^)
動けなくなったとき、
抜け出せなくなったときに、
過去のことを思い出すことで、
感謝があふれ、愛があふれる
まだまだ足りないけれど、
神様と聖霊様と主が愛して、して下さったこと、
今も愛してくださっていることを
私がもっともっとわかって、
もっともっと悟って、
私の心から湧き出てくる感謝と愛が、
神様と主に届いて力を与えるくらいに
大きく大きくなるように、
もっともっと次元をあげたい\(^o^)/