子育て奮闘中のまりもです。
初めての遠出に挑戦中のまーちゃん
中間地点のホテルを出発。
初めての海を見ながらしばらく高速を走り
目的地が間近に迫ってきました!
いよいよひいお婆ちゃんと対面です☆
ひいお婆ちゃんはちょっと誰が誰かもうわからなくなり始めていましたが
まーちゃんのことはわかった様子!
一目見てとても喜んでくれました。
まーちゃんも終始テンションが高く、親戚の皆さんに可愛がられ
頑張ってきてよかったーー^^
短い滞在時間でしたが、ひいおばあちゃんには3回も抱っこしてもらいました^^
しばらくすると抱っこしたことを忘れてしまうので
忘れると、また「抱っこしたい」とおっしゃって
嬉しそうに膝の上に乗せていらっしゃいました。
もしかしたら、抱っこしたことも、会ったことも
結局は忘れてしまうかもしれないけれど
この瞬間だけでも
わかって喜んでくれるなら
頑張ってきて本当によかったなあと
まりももしみじみ。。
帰る背中に、おばさんが
「本当に、遠いところからよくきてくれて、ありがとう」
と
その言葉に、まりもとしては自分が「大事に思ったこと」が伝わった気がして
ジーンとしてしまいました。
旦那さんは父方の実家の方がちょっと厳しくて
義理のお母さんは結婚してからお盆には自分の実家に帰ることができなかったそう。
だから、今回そちらの実家のお墓詣りに行くか、ひいおばあちゃん(義理の母方の実家)の方に行くかという選択肢に
まりもは当然、まだ生きてるひいおばあちゃんが少しでも元気なうちに会うのが絶対優先度が高い!と考えたのですが
その発想が親戚の中ではちょっと新鮮だったみたいです。
だから、おばさんがおっしゃってくれた時
ひいおばあさんを大切に思ってくれてありがとう、とおっしゃってくださった気がして
思わず振り返って、深々頭を下げてしまいました。
生きているって本当に大きいですよね。
生きてるからこそできることがたくさんあるから。
宗教、特にキリスト教というと
死んだ後のことを大切にしているような印象を持っている人も多い気がします。
「神様をよく信じたら天国に行くとかいうんでしょ?」
とかそういう部分的なことだけ知られてたりするから。
でも、摂理で教えてくださった御言葉では
生きていることが本当に重要で
むしろ、死んだ後のことについて正確に知るからこそ
今、どう生きるかの重要性を正しく知ることができた。
だから摂理の人は生きている「今」を絶対おろそかにはしない。
目的が正確でこそ、そのための方法も正確にわかる
死んだ後にだけ希望があるのではない。
むしろ正しく知る分、もっとこの命の価値を知る
そして、神様を知る分
神様が自分をどれだけ貴重に思われているのかわかるから
自分という存在の価値を知る。
だから「今」生きている自分が本当に大事だし
そのように相手のことも大事にできる。
本当の価値を知るから。
生きていること
それがどれだけ大事かわかったら
自分がどれほど大事な存在かわかったら
それだけでも生き方変わるんじゃないかなって
私は自分はいつ死んでもいいと思ってた人だから
自分には価値がないと思っていたし
自分だけの「価値」が欲しくて色々したけど上には上がいるから虚しくて
そういう「価値」じゃなく
本当の自分という価値
鄭明析先生が教えてくださった
「救いとは、すなわち失われた人間の価値を取り戻すことである。」
これがまさに私が必要としていたことで
それが自分には全く無関係だと思っていた「救い」だった
「救い」とは、死んだ後のためのものじゃなく
生きている「今」必要なもの
実際、自分の本当の価値を知って生きている人ってどれぐらいいるのだろう
それだけでもどれだけ自由になるのか
私の好きな聖句
「また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」
(ヨハネによる福音書8章32節)
何が大切なのかわかって
本当に自由になったなあ^^
(写真はひいおばあちゃんちの近くのレストランで食べたオムライス☆)