私が見たキリスト教福音宣教会

中学生の親になって感じること、そして摂理の鄭明析先生が私にくれたものとは?


娘のチタちゃんが中学生になって数年たち、
急にぐんと視野が広がり、
子供が大人になっていく道筋が見え、
子育ての終わりを意識するようになった


自分が若い時は、
時間はたっぷりあり、
なんでもできる気がしていた

子供が小さい時は
苦労も心配も多いけど

無邪気な子供から来る
楽しさと喜び、希望にあふれていた


中学生の親になって

子供は、親と距離をおいて、
自分自身の人生の道を歩み始め、

子育てが次の局面に入ったのを感じ、
子育ての終わりを考えるようになった

小学生のママ友と
中学生のママ友は
話題が違う

小学生のママたちの話題といえば

子供の習い事や塾
中学・高校受験
下の子の出産
自分の仕事についてが多かった

子供が中学生になって
ママたちのおしゃべりの内容も変わった

中高一貫校で
高校生のママたちもいるからかもだけど

ママたちのおしゃべりを聞いていたら

親や配偶者の介護
自分自身の健康、更年期についてなど

衰えゆく親や自分の話題が増え
希望がなくなっていくのを感じる

もちろん子供の部活や勉強
大学受験の話もするけれど

親が病気になったり
親や、親の世代(叔父叔母)が次々に亡くなり
「もうそういう年だから仕方ないよね」と
思う年代に親たちが入っている

私も去年、最愛の父を病気で失い
今年に入って、叔母が亡くなり
親の世代の4分の3は故人になった

子育ての終わりが見通せるようになり、
人生の終わりを目の当たりにするこの頃
改めて、自分の人生とはなんだろうと
振り返ることが多くなった

中学を卒業し、高校を卒業し、
大学を卒業し、就職し、
結婚し、子供を育て、
年老いていく


子供たちがどういう学校に行こうが、
どういう仕事に就こうが、
どういう人と結婚しようが、
独身で生きようが、
子供を産もうが産むまいが、

あと40年も経てば
子供たちも年をとり、次の世代に交代していく

今の私が、年をとり、
子供たちに体力的に負け、
能力的にも徐々に遅れを取ってきたように

自分の体が徐々に弱っていく時
自分の力ではどうしようもないことが起こるとき
人間の力と時間には、
限界があることを切実に悟る


親が亡くなったのを知った時
私ができたのは、ただ涙で神様に祈ること
親の霊魂の救いを神様に願い求めることだけだった

そして
自分ができないことがたくさんあり
自分の力ではどうしようもできないことが
これからも起こるんだろうなと思った

親の死を見て、子供たちの成長を見ると
自分が生まれ
成長し
徐々に歳をとり
死んでいく
そのプロセスを実感する

親も
自分の子供も
そのまた子供も
同じように、生まれ、成長し、死んでいく

なぜ?

なんのために?

ただ、生まれ、成長し
ただ死んでいくだけなら
夏に虫が生まれ、冬に死ぬのと何が違うだろうか

可愛い子犬が、たった15年ほどで
老いて死んでいくのと何が違うだろうか

数十年後には
自分の肉体が消え
自分がいたことも人々の記憶から消えてしまうなら
なんと空しくみじめな人生だろうか

たとえ、ネットで検索して
その名前がひっかかったとしても
それが死んだ本人にとってなんの意味があるだろうか

名前を残そうが、富を得ようが
亡くなって地上から消えてしまったら
何も残っていない

財産も全て分配され
全て名義は変更され、
この地上に、自分のものは何一つなくなってしまう

自分はなんのために生きているのか、
どこに向かっているのか

その虚無感を感じない人はいないだろう

子育ての終わり
人生の終わりを意識するようになって


改めて
私は神様を信じていて良かったと強く感じている

日本人のあるある、困った時の神頼みではない

体が弱ってきたから
心が弱くなってきたから
神様にすがるというわけでもない

以前は、私も神様はいるかどうかわからないし、
いても自分に関係するのか、わからなかった

摂理に来て、
鄭明析(チョン・ミョンソク)先生が
私にしてくれたことはたくさんあるけれど


一番大きいのは、祈ってくれたこと
そして、教えてくれたこと

何を教えてくれたかといえば・・・

神様がいるかどうか
神様が目的をもって、人間を創造したということ
神様がどんな目的を持って、私を創造したのか
神様はいま、何を私に望まれているか

私は何を得ていて、何が足りないか
私はいま、何をすべきなのか

そして、キリストはどういう方で
キリストがされる救いとは何か
キリストが私とどう関係があるのか

それを1つ1つ御言葉で教えてくれる

それによって、私に起きたこと

子供の時から感じていた
どうしようもない虚無感、喪失感がなくなった

なぜ私が生きているのか(目的)
どこに向かって、私は生きているのか(方向)
今、何をすべき時なのか(時)

それがわかった

そのことをわかることによって
人生が、生きることが全く変わる

今、私に残っている問題は
私自身の問題、弱さ、足りなさ


能力的にも、人格的にも、経済的にも、霊的にも
自分自身の足りなさがもどかしくて
問題が多くて、苦しくなることも多いけれど

自分が
ただ生まれて消えていくだけの存在だと思う時の
あの恐ろしいほどの虚無感を感じることはない

だから、私は神様なしには生きられない
そして、キリストなしには生きることができない

そして、
神様とキリストについて教えてくれる
先生とその御言葉なしには生きられない


最近、いろいろなことがあって、
さらに切実に思い
神様を知って
主を知って生きるようになったことに
深い感謝をするようになった

もうすぐ父の一周忌
父の霊魂が神様の世界にいますように

私が死ぬ時まで神様と主から離れず
永遠に共に生きられるように

神様と主を知らない人たちが
神様と主を知り
神様と主を愛して生きるようになるように

今は、この一番大切なことを
切実に祈りながら、この賛美歌を歌っている

「主なしに生きられない」

わからない、その笑顔のわけ

主なしでも幸せ、というけれど

わたしは主いなければ
息さえできないのに

人々が求める幸せ
永遠の主の愛とは無縁で

わたしは主の愛もとめ
主の愛になりたくて

主がいなければ、ひとり生きられない
呼吸ひとつも主のためのもの

移り行く世に、変わらない思い

主なしに生きられない

(「主なしには生きられない」歌詞の一部抜粋)


ABOUT ME
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あっこママ
早稲田大学 政治経済学部卒、東京都心に在住。 【 高校生のチタちゃん(女子)と小学校高学年のトラ君(男子)、ぱんだパパの4人家族】 大学生のときに摂理に出会う。 15年以上、海外出張もこなし夜中まで働くキャリアウーマンだったが、今は在宅ワーカーとして自分を作り中。 趣味は食べること、ウォーキング、旅行、動物園・水族館に行くこと、悩みは偏食&少食の子供たち、彼らが食べる簡単おいしいご飯を探求中!