キリスト教福音宣教会の教会活動

CGMの信仰生活 〜日曜日の礼拝、なんで毎週教会に行くんだろうと自分に問うてみた


「キリスト教って、毎週日曜日に教会に行かないといけないんだよね。私は日曜の午前中は寝て過ごすほうがいいや。あっこさん、えらいねぇ…」

以前、宗教嫌いの知人に言われたことがある

どこの教会にも牧師さん(カトリックは神父さん)がいて、毎週日曜日の午前中は礼拝があることが多い

牧師さんはともかく、信徒たちが礼拝に行くか行かないかは自由だし

月1回、とか暇な時だけ行くとかもありだし

コロナ以降は、オンライン配信もしているから、リアルタイムでも、後からでも、動画を見ることもできる(便利な時代になった)

「日曜日の午前中に教会に来ないと地獄に落ちるぞ(ばちがあたる、みたいな意味)」と脅された記憶はない(笑)

疲れた社会人や小さい子供がいるママパパにとって「やることがたくさんあるし、睡眠時間を確保する貴重な時間だから、日曜日の朝から教会に行くなんてムリ!」と思う気持ちはわかる

神様を信じるようになってから30年超の私も、恥ずかしながら、日曜日の朝起きて、出かけるのは面倒だから家で礼拝を捧げたいな、と思う時もけっこうある(笑)

コロナで出不精になり、怠け心をしっかり育てちゃったから、他のことでも、家で用事が済むならそれでいいや、行くのが面倒だな、って思うことも多い

ここだけの話、昨夜(土曜の夜)も、息子が体調不良になり「発熱したら主日礼拝に行けないなぁ」と思ったら、怠け心がむくむく出てきて「・・・明日一日中、家にいたら楽だなぁ。片付け進みそう・・・」って心のどっかで思っちゃった(^^;;

でも、今朝(日曜の朝)は、息子はいつも通り元気に家を飛び出し、私も主日礼拝に出て「よかった。気持ちいい1日だった」とスッキリした気持ちになった

以前、今で言うブラック企業(笑)でバリバリ働いていたのもあり、仕事や家族や、さまざまな事情があって、ほとんど教会に通えなかった時期があった

その頃は、友人から御言葉をもらって、自分で礼拝を守り、信仰を持ちながら自分なりにがんばっていた

自己流の信仰は、最初は楽だったけれど、時間が経てば経つほど、教会に通っている時と、通っていなかった時と、目に見えるもの、目に見えないものに差が出てくるのを体験した

信仰は自分の内省的な行為ではなく、対象である神様がおられ、礼拝を捧げるときにも働きかけていらっしゃることを感じた経験だった

日曜日は、家にのんびりしていた方が楽だし、山盛りの家事もしたいけれど

家で、後から礼拝を捧げた時は、教会に行った時に得られたことが得られなくて、もやっとしながら1週間が始まるし

礼拝を聖殿で捧げると、すっきりするし、力も得るし、とても気持ちよく1週間のスタートが切れる

結局、最近は行けない理由がない限りは、行くようにしている

つまり

私にとっては「礼拝は行かなければならない=義務」ではなく

最初はネガティブな感情が浮かんだとしても、経験上、行くと楽しいし、いいことがたくさんあるし、気持ちよく1週間がスタートができるから、毎週通っているんだと思う

さて、主日礼拝(日曜日に捧げる礼拝)って何をしているか、一般的な用語を使って表現してみると・・・

 ※キリスト教用語(→一般的な用語)

 ・賛美をする

 →声を出して歌う、カラオケでいえばマイクを持って熱唱する人と一緒にのりのりで歌っている状態

 ・聖書を読み、御言葉を聞く

 →教室で教科書やテキストを開きながら、授業を聞いている

 ・祈る

 →瞑想、黙想、目を閉じて考えること

 ・献金をする

 →お賽銭、投げ銭、心付けを渡す

キリスト教徒でない人たちもやっているようなこと、意外と普通なことをやっている(笑)

(御言葉の時間が最高なのだが、なぜかは、また別の機会に・・・・)

主日礼拝が終わった後に

さらに御言葉を聞くこともあるし

季節のイベントがあって、みんなで歌ったり、ダンスやコントや落語をするのを見たり(やりたい人はやったり)

運動(サッカーやバレーボールなど)をしたり(やりたい人たちがいくし、応援だけもOK)

友達や知り合いと、おしゃべりしたり、ランチをしたり、牧師さんと話したり(相談も雑談も)

家族で過ごしたり、誰とも話さず、一人で次の用事に行ったりもする(笑)

なんでかな…

なんで、めんどくさがりの私がわざわざ毎週、日曜日の朝に教会に行くのかなって

改めて考えてながら過ごしていたら、年末年始に「主日礼拝って、年末年始に似ている」って思った

(こんな話、他の誰からも聞いたことがないので、私が最近感じた、自分勝手な感覚(笑))

年末年始といえば(昭和の時代の過ごし方では)・・・

紅白歌合戦を見て、好きな歌を一緒に歌ってすっきりして

除夜の鐘を聞きながら108の煩悩を捨てて、自分がきれいになった気がして

年明けのカウントダウンをして、未来への希望が湧いてきて

去年までの自分ができなかったことができるような気がして

「今年こそがんばるぞ」って、その年の目標なんか立てたりして

新鮮な気持ちになって、元気になって、前向きな気持ちになれたっけ

今年の年末年始に「年末年始の感覚、主日礼拝に似ているな」って思った(笑)



私は、主日礼拝に参加すると・・・

讃美歌を歌って、すっきりして、祈って悔い改めて、自分がきれいになったような気がして

ダメダメな自分に嫌気がさしていても

御言葉を聞くと、自分と現在と未来に希望が持てるようになって「今週こそがんばるぞ!」って前向きな気持ちになり

礼拝が終わる頃には、新しい自分に生まれ変わったような気がする

年に1回、新しい自分になるのと

週に1回、新しい自分になるのでは

週に1回の方が、より前向きに生活ができる(笑)

というわけで、毎週日曜日に主日礼拝に参加している自分は、義務ではなく、自分が好きで参加しているんだなって思った(日曜に朝早く起きるのはもちろん面倒だけど、ね)

これは私の感覚なので、こーいう人もいるんだって思ってください〜

以上!(笑)


ABOUT ME
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あっこママ
東京出身、都内在住、早稲田大学 政治経済学部卒。【 女子大学生チタちゃん、男子中学生トラ君、ぱんだパパの4人家族】 宗教嫌いで旅行三昧だった大学生のときに「キリスト教福音宣教会(摂理)」に出会う。 15年以上、海外出張をし、夜中まで働くキャリアウーマンだったが、子育てを機に、今はテレワークで自分を作り中。 趣味は旅行、陶芸、食べること、お出かけ(水族館、博物館など)etc..。”子供とお出かけ情報”を多数掲載。