夕食時の子供達との対話のひととき、
「神様に助けてもらったこと」について話題になりました。
生活の中の小さなことから、命が危なかったところを助けてもらったことまで様々。
長女:「お風呂で溺れそうになったことあるー」
(あの時ふざけてたよね~。ママに注意されたよね(笑))
次女:「(まだ足がつかなかった幼い頃)プールでママが手を滑らせたから、
水の中に入っちゃったよ」
(ごめんね・・・、ママが悪かったよ~(;’∀’)
子供達と対話する中、ふと、私が小学生の頃に体験したある出来事を思い出しました。
小学校一年生のある日の冬。
病院に通院中だった私は、この日、
学校が終わってからいつものように病院に向かいつつ、
雪の積もった堤防を同じクラスの女の子の友達と一緒に歩いていました。
途中、川べりにあったブロックに目が行き、
ふとそこで遊びたくなり、友達と一緒に降りて行きました。
50cmほどの間隔でブロックが並んでいましたが、
ブロックとブロックの間をジャンプして遊び始めました。
ブロックのすぐ側を川が流れているにも関わらず、、、
ある瞬間、私は足を滑らせ川に落ちてしまいました。
落ちてすぐにブロックを掴み、上がろうとしましたが、
川の流れに逆らって自ら上がることはできませんでした。
しかも、足が川底につかない状態。
その時、一緒にいた友達が私の手を掴んで引っ張り上げてくれ、
九死に一生を得ました。
引っ張ってくれたのは、私と同じ一年生の女の子。
身体が小さく力持ちでもありません。
下手したら私の手を掴んで引っ張る時に、
一緒に落ちてもおかしくなかったのに、
落ちることなく、力いっぱいひっぱってくれました。
この時、不思議だったのは、引っ張ってくれた友達の手の感覚。
まるで、大人の男性の大きな手で引っ張ってもらっている感覚でした。
その感覚を数十年たった今でもはっきり覚えています。
十数年後、私は、鄭明析牧師先生との出会いを通じて
この体験の答えを知るようになりました。
「人間が危険によって命を失う直前に、
神様は助けるために人を通して、万物を通して、
または直接働きかけて、あらゆる方法で救出して下さる。
人の心に感動を与え、自らやりたくてやっているかのように行わせることで、
命を保護することもあるし、
祝福をうけさせることもあるし、
様々なことをなさる。
このようなことは、私にだけでなく、
人類すべてに対して行われている隠密な方法だ」
(鄭明析牧師先生の御言葉)
川に落ちた私を助けるため、
神様が友達の身体を使って思い切り引っ張り上げてくださったのだな。
そして、私を引っ張ってくれた友達の手を
大人の男の人の手のように感じさせたのは、
後々、「神様が助けたのだ」と私がわかるようになさったことだったのだなと悟りました。
神様の存在を知らなかった時には
目の前にいる人が助けてくれたとばかり思っていたけれど、
そうではなかったのだと分かりました。
目には見えないけれど、人を着て隠密に助けて下さる神様。
神様は、「私があなたを助けた」とはおっしゃらず、
人が気づかないうちにそっとおこなっていかれるのです。
死ぬはずのところから神様に生かされた経験を沢山なさった牧師先生を通して、
この秘密を知るようになりました。
<戦場で数十回も生かしてくださったこと>を経験し、神様と御子に感謝したら、
神様は
「地球世界のすべての人たちの中に、あなたのように死から助けてあげなかった人はいない。
そうしなかったなら、地球は数十年も経たないうちに空き家のようになる」
とおっしゃった。
「一番大きいことは、死ぬところから助けてくださったことだ」
(鄭明析牧師先生の御言葉)
この瞬間も、愛するから、何も言わずにそーっと働きかけて下さる神様の愛に気づいて差し上げたいです。
今日も、私と世界中のすべての人をあまりにも愛して、
大きなことから小さなことまで、人を通して、様々な方法で助けて下さる神様の愛に心から感謝します。
