夕食の子供達との団らんのひととき、
「神様に助けてもらったこと」について話題になりました。
生活の中の小さなことから、
命が危なかったところを助けてもらったことまで様々。
子供達と対話する中、ふと、
私が小学生の頃に体験したある出来事を思い出しました。
小学校一年生のある日の冬。
病院に通院中だった私は、この日、
学校が終わってからいつものように病院に向かいつつ、
雪の積もった堤防を、同じクラスの女の子の友達と一緒に歩いていました。
途中、川べりにあったブロックに目が行き、
ふとそこで遊びたくなり、友達と一緒に降りて行きました。
50cmほどの間隔でブロックが並んでいましたが、
すぐ側を川が流れているにも関わらず
ブロックの間を飛んで行き来する遊びを始めました。
瞬間、私は足を滑らせ川に落ちてしまいました。
落ちてすぐにブロックを掴み、上がろうとしましたが、
足が川底につかない状態で自ら上がることはできませんでした。
この時、一緒にいた友達が私の手を掴んで引っ張り上げてくれ、
九死に一生を得ました。
最初から川のブロックで遊ばなければいいのに、
まだ幼くて、危ないということを考えるよりも
好奇心のままに行動してしまったので、
こんな危ない目に遭ってしまいました、、、
人通りが少なく、車もあまり通らない場所だったので、
もしこの時、一人川べりで遊んで川に落ちてしまったら
どうなっていたのか…
考えるだけでもぞっとします。
ところで、私の手を引っ張ってくれたのは一年生の女の子。
身体が小さく決して力持ちではありません。
下手したら私の手を掴んで引っ張る時に、
川の流れに負けて一緒に落ちてもおかしくなかったのに、
落ちることなく、力いっぱい引っ張ってくれました。
この時不思議だったのは、引っ張ってくれた友達の手の感覚。
まるで、大人の男性の大きな手で引っ張ってもらっている感覚だったのです。
目の前にいるのは私と同じ小さな女の子なのに、
まるで父親の手のようにゴツゴツした大きな手でがっしりつかまれている感覚。
仕事でいないはずの父親がその瞬間だけ助けにきてくれたかのような
そんな感じでした。
この手の感覚が本当に不思議で仕方がありませんでした。
この時から十数年後、
私は、キリスト教福音宣教会で御言葉を学ぶようになりました。
死ぬはずのところから神様に助けてもらった経験を沢山なさった鄭明析牧師を通じて、
神様が助けて下さる方法について知るようになりました。
人間が危険によって命を失う直前に
神様は助けるために人を通して、万物を通して、
または直接働きかけて、あらゆる方法で救出して下さる。人の心に感動を与え、自らやりたくてやっているかのように行わせることで、
命を保護することもあるし、
祝福をうけさせることもあるし、
様々なことをなさる。このようなことは、私にだけでなく、
人類すべてに対して行われている隠密な方法だ」<キリスト教福音宣教会 鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の御言葉より>
御言葉を学びながら川に落ちた時のことを思い出し、
更には、友達が私の手を掴んでくれた時の
あの不思議な感覚を思い出しました。
私を助けるため、
神様が友達の身体を使って思い切り引っ張り上げてくださったのだな。
そして、私を引っ張ってくれた友達の手を
大人の男の人の手のように感じさせたのは、
「神様が助けたのだ」と、
後々私が気づくようになさったことだったのだなとわかりました。
神様の存在を知らなかった時には
目の前にいる人が助けてくれたとばかり思っていました。
目には見えないけれど、人を着て、人を使ってひそかに助けて下さる神様。
「私があなたを助けた」とはおっしゃらず、
人が気づかないうちにそっとおこなっていかれる神様…。
戦場で数十回も生かしてくださったことを経験し、
神様と御子に感謝したら、神様は「地球世界のすべての人たちの中に、
あなたのように死から助けてあげなかった人はいない。
そうしなかったなら、地球は数十年も経たないうちに空き家のようになる」とおっしゃった。
「一番大きいことは、死ぬところから助けてくださったことだ」
<キリスト教福音宣教会 鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の御言葉より>
過去を振り返ると、
今生きていられることが本当に奇跡だなと感じずにはいられないほど、
命が危険な状況から助けて頂いたことが様々ありました。
今日も、この瞬間も、
私と世界中のすべての人をあまりにも愛して、
人を通して、様々な方法で助けて下さる神様の愛に心から感謝します。