It’s a small world『小さな世界』という歌は、
小さな子供から大人まで、
世界中で親しまれていますよね。
『世界はせまい 世界はおなじ 世界はまるい ただひと~つ』
子供でもすぐに覚えられるので
幼稚園など様々な場所で歌われてます。
この歌の歌詞のように、世界中が助け合い、
みんなが輪になって手をつなぐ平和な世界。
こんな理想的な世界になったらいいなと一度でも思い描いた事はありますか?
摂理の教会に通っているお友達に聞いてみると
◆摂理に出会う前に『peace of the world』『世界の平和』をずっと考えていた
◆小さい頃から世界の平和のためにお祈りしていた
◆みんなが平和に幸せに生きるにはどうしたら良いのか?といつも考えていた
などなど、何らかの形で平和を思い描いて過ごしていたという話をよく聞きます。
神様が一人一人の祈り、心の声、願いを聞いて、
摂理の御言葉に出会うように導いて下さったのを確信するしかありません。
世界の平和。具体的には何ができるでしょうか?
自分一人が何かをやったところで世界が変わるものか・・・・・
と諦めた経験のある人もいるでしょうか?
ちょっと待ってください!
今までの世界の歴史を見ても、
歴史を動かした人々は
自分一人から始めて周りを、国を、世界を変えてきました。考え、行動、一つ一つによって。
過去のどの歴史を見ても、
小さな小さな種のような存在
たった一人からはじめて
考えと行動で立ち上がることで
歴史をも動かすようになりました。
小さいように思える自分という存在も
世界に影響を与える種となることができるということですね。
ただ、どのような影響を与えるのか?
ここがポイントですよね。
どうせ影響を与えるならば
世界中の一人一人が
悪い思想、悪い行いの種ではなくて
良い思想、良い行い、平和の種になる事を願います。
『挨拶』も平和の種になれるんじゃないかなと思います。
娘みいと一緒によくバスに乗ります!
娘みいが赤ちゃんの時からバスの運転手さんに挨拶をするようにしています。
最初の頃は小さな声で
「お願いします」
「ありがとうございました」
元々は、バスの運転手さんへの挨拶は頭にも無くスッと乗ってスッと降りていました。だから、挨拶を始めた頃は、
ちょっと恥ずかしい気持ちもありました。
挨拶すると目立つ上に、人の目も気になります。
でも、「感謝の心を表現することは大事だよね」という思いがあり、続けていました。
そのうち、一緒に娘も大きな声で挨拶するようになりました。
(さすが子供。全く人の目は気にしない。ちょっと大きすぎ?っていうくらいの大きさ)
「お願いします」
「ありがとうございました」
同じバス停に降りた知らないおばあちゃんに
『なんて素晴らしい挨拶でしょう。元気でいいね。気持ちいいね。』
と褒められたりもしました。
続けて挨拶するうちに
何の抵抗もなく挨拶できるようになっていました。
小さなことかもしれませんが、
こういう小さなことから
何気ない日常のことから
世界の平和はなされていくのではないかと思います。
家族で挨拶、学校で挨拶、会社で挨拶、お店で挨拶、
挨拶が挨拶を呼び
ありがとうがありがとうを呼ぶ。
笑顔が笑顔を呼び
自分一人の作り出す小さな平和が
みんなの平和の種となる。
言葉で言うのは簡単ですが
実際行なうとなったら簡単ではありません。
日々漸進的に行おうと思います。
世界中で、日本でも悲しい事件の連続。
今や確実に安全と言えるところがあるでしょうか?
ただ神様に祈るしかない日々。
小さな子供たちも、家族も、一人一人も
安心して生きていける世界になりますように。