つれづれ

心の中にあるものは・・・


教会から帰る時、深く考える出来事がありました。

教会には駐車場がないため、近所のコインパーキングに車を止めています。

礼拝が終わり、駐車場から車を出して、教会近くの道路わきに止めて、待っていました。

自転車の親子連れ。

子供も小さいながら自転車に乗っていました。

フラフラしてたので大丈夫かなと思ったそのとき、子供が車に激突してきました。

大丈夫かい!と出て行きました。子供は無事でした。

しかし、車には自転車と接触した時の傷が・・・。

お母さんは申し訳なさそうに何回も謝っていました。

子供は5歳くらいでしょうか。

とっさに出た言葉が「当たったけど、傷はついていない」

ちょっと唖然としました。

親は子供を叱りながら、「あなたも謝りなさい!」

慌ててその子も「ごめんなさい!」

悪気があってやったわけではないので許しましたが、言い訳は気になりました。

どういう心でそういうことを言ったのか。

そのことを考えながら。。。

自分も神様の前で言い訳してはいないか考えるようになりました。

人間、とっさの時に素の自分が出ます。

神様の考えで生きるように心がけていますが、

心がけるレベルから素の自分のレベルにまで到達しなければ、

天国は難しいと感じます。

人が死んだら霊が考えを持っていくからです。

その考えの通りに霊が瞬間でおこなってしまいます。

自分の心を完璧に作りたいです。

 

チョンミョンソク先生は、考えが神様の方向に向く方法を教えてくださいました。

箴言を紹介して終わりますね~。


ABOUT ME
miyachan
尾崎豊の十七歳の地図って歌、知ってるかい!この歌の「何のために生きてるのかわからなくなるよ」というフレーズ。19歳の自分にピッタリはまったよ。 なぜ、生きるかを知りたくて過ごした日々、奇跡的に摂理と出会うようになったんだ。 あれから20年、御言葉を聞き、今は結婚して二人娘のパパ。 そして仕事はフリーランスSE。鄭明析先生の御言葉でさらに大傑作人生に挑戦中だ!
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