今日は「なぜ生きるのか」について書いてみたいと思います!
誰もが一度は考えたことがあります。
しかし、すっきりする回答をしてくれる人はいません。
何でも答えてくれるgoogle君でも明快な回答は得られません。
それはなぜでしょうか?人間は楽な「答え」を望むからです。
しかし、答えは一つ。
人間には自由が与えられました。しかし、自由な分、選択が多くなり、
なぜ生きるかも選択できるようになりました。
しかし、本来、命を受けたものは生きることが定められています。
その意味を見つけることが人間に与えられた使命です。
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摂理の宮もこのことについて考えました。
高校生の時、ノストラダムスの大予言にハマりました。
週刊少年マガジンでノストラダムスの予言について書かれたものがありましたよね。
読みながら、1999年に何が起こるのか、不安にかられていました。
自分には何ができるのか!と日々考えました。
戦争、人口爆発、環境問題など、さまざまな噂が流れました。
その当時見つけた答えが都会に行くこと!でした。高知の田舎に生まれた宮は、ここでは何もできない!
と思ったし、都会で良い指導者に会い、その人を手伝いながら自分がすべきことを見つけるでした!
今、考えると聖霊の感動が下ったんだなぁと感じました。
京都の某機械メーカーに勤めながら、さらに人生に考えることが多くなりました。
9:00に出社し、22:00まで毎日働きました。会社の寮に入っていて、土日は会社が嫌で、
大阪の友達のところに毎週遊びに行きました。
会社の同期は、集まれば、誰かの悪口。自然と付き合いも希薄になっていました。
しかし、そこに一筋の光が。。。同期の人が摂理に呼ばれていたのです。
その人から摂理の方を紹介していただき、御言葉を教えていただきました。
それまで1年くらい会社に通いましたが、自分は成長したといえることがありませんでした。
しかし、その御言葉を聞くと人間としての成長が感じられました。
人間の根本の話。なぜ生きるかを明快に教えてくれるからです。
仕事は忙しかったですが、土日に御言葉を聞きにいくようになりました。
そして、神様に出会いました。先生に出会いました。
今日も変わらずその答えを正しく教えるところ、摂理です。
多くの人がこの御言葉に触れられることをお祈りしています。