「ありがとう」と「ごめんなさい」がちゃんと言えれば大丈夫👌

まーさんは神様の愛を悟るまでは、しっかりと謝ることができなかった。プライドが許さないとかではなくて、相手の気持ちを読み取ることも、自分の気持ちを表現することもうまくできなかったのだ。 神様の愛を悟る前のまーさん(以下まー)はいつも叱られる理由がわからなかった。 父の激怒のきっかけはたいてい兄が作る。 母は「やめてよー!」といいながら、ますます父の怒りを増長させるか、どこかにいなくなってしまう。 わけわからず兄弟3人並ばされて兄、姉、まーの順に叩かれた。ゴルフではドラゴン賞の常連さんで気の荒い土建屋の父が容赦なく叩く。 骨折までした記憶はなかったから、一応加減はしていたと思うが、往復ビンタだから倒れることもできない。 首の骨への影響は現在に至るまででている。 「よし」と言われるまでそこに並んで立ってないといけない。 漠然と、この様な惨状に至るきっかけを作った兄が悪いと思っていた。 父は「いつも怒らせるほうが悪い」というから、幼い時は、ごめんなさいと心から謝ったことがある。勇気をふりしぼって父の前に立った。 「ご、ごめんなさい、、」 耐えられなくなってしゃくりあげて泣いた。父は笑って頭を撫でてくれたが、あまりにも残念な経験だ。 父が激怒する理由は、かなり後になってわかった。 正当な理由はなく、仕事の事とか、別の理由で単に機嫌が悪かったということだ。 同じ事をしていても、昨日叱られなかったのに今日は逆鱗に触れる。 いつどんな理由で怒り出すのか分からない父に対する不安。 まーは幼さのゆえにそのことを受け入れてしまった。 何が良いことで悪いことなのかわからずに育った。ただ、良心に従って生きたいとだけ願ったが人との距離の取り方がわからなくなった。 🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥 「ごめんなさい」 に類する言葉を人生の中で両親から聞いたことがない。 もうひとついうと「ありがとう」という言葉もほとんど聞いたことがない。 父親から、「ありがとうと言いなさい」と、無理やり言わされたことは何度もある。 言わないと怒り出すが言えば言ったで「何だその言い方は」と噛み付いてくる。 要するに機嫌が悪いから怒る理由が欲しいのだ。 「ごめんさい」を何に対して言ってよいのかわからなくなった。 人の目を見ることができなくなった。 何かのときに「人間は『ありがとう』と『ごめんさい』がちゃんと言えれば大丈夫。」という話を聞いた。 深い絶望感を抱いた。 そして、自分は、幸せだと思うことにした。 実際よく自分のことを「自分は幸せだ」と口に出して言った。 不安だった。 ある時親友が怒った。理由がわからない。 人を振り回すなと言う、まるでわからない。 高校生の時は楽しく過ごした反面、色々苦しいことも沢山あった。 幸せだけど不安。限界を感じていた。 誰にも理解されない。 まーは20歳になったら精神が分裂して気が狂うのだろうな、漠然とした予感をもち、その時が近づくのをカウントしていた。

鄭明析(チョンミョンソク)牧師との出逢い〜

覇気もなく生きていた19歳の時にキリスト教福音宣教会に出会った。 嫌々ながら断ることもできず教会に連れていかれ、聖書を勉強させられた。(まーはいつでも被害的^^;) 何度か断りきれずに聖書の話を聞くうちに、聖書には善と悪が、はっきりと書かれていることに気がついた。 聖書を善悪の基準にすれば私は不安から解放されると考えた。 まーは、幸せを装う重病人だったので、自分の問題や罪が何かを認識すらしていなかったとこからのスタートだったため、神様の愛を素直に受け入れることができるようになることさえ、だいぶ後になってからだった。 それでも神様は辛抱強くまーを育ててくれた。 聖書をわかりやすく体系的にまとめたキリスト教福音宣教会の講義を完成させたのは鄭明析 (チョンミョンソク)牧師だ。 この真理はあまりにも価値が高いものだからと、一切の値をつけることなく、労を惜しむこともせずに私たちに伝えてくれた。 深い祈りと真理の研究と実践なしには成し得なかった。その内容と鄭明析牧師の生き方に矛盾がないのが本物の証だ。鄭明析牧師はずっと私の先生だ。 鄭明析牧師は一体どのような環境と境遇の中で聖書の深い真理を悟るに至ったのか? 幼かった頃から青年期の頃、当時の韓国は、極度の貧困に喘ぎ、狭くて古くてナンキン虫だらけの家には、本といえば教会から配布された聖書しかなかった。 幼い頃から聖書を繰り返し読む中で、人間に対する神様の片思いを悟った。長い歴史の中で神様は最高の愛で人間を創造したのにもかかわらず、人はその愛を幾度となく裏切る。罪を犯した人間を叱るも許し栄えるようにしてあげまた裏切られ許して、、。 鄭明析牧師は世界で一番神様を愛して、その愛を人々に伝えることで神様の涙を拭って差し上げようと決心した人だ。 驚くほど純粋だが、実際に会ってみたら本当に純粋で、今に至るまで純粋でびっくりする。 若き日の鄭明析牧師は神様の無念を晴らすために、まずは自分自身が真理を悟りたくて、有名な牧師がいれば何十キロも歩いて会いに行った。 しかし聖書の疑問を質問しても、はっきりと答えてくれる牧師は皆無で、むしろ「そんな事を聞くなんて信仰が悪い!」、と、叱られさえした。 答えが見つからないので、「イエス様が直接私を教えてください」と、極寒の山の洞窟に入り、ひたすら聖書を読み、夜通し祈った、答えが知りたくて、聖書を読むうちに気がつくと若き日のうちに2000回読んでしまった。 神様の願いをかなえて差し上げる、その決心をひと時も忘れずに、むしろ時が経つほど驚くほど次元をあげて、自ら実践し、どんな波風にも屈せず耐え抜き、決してとどまることをしなかった。 、、、。このことは聞いた話をそのまま話しているのではない。25年間共に生きてくれたがこれ程までに真実な人が一体どこにいるのだろうか! 🙌🙌🙌🙌🙌🙌🙌 私に「ありがとう」「ごめんなさい」を教えてくれて、真実な思いで生きる道をひらいてくれたのは、鄭明析牧師だ。

児童相談所、虐待防止センター、カウンセリング、彷徨い続ける

まー(神様の愛を悟る前のまーさん)は結婚して子供が産まれた。 自分に子供が愛せるか不安だった。 旦那も同じ家族の悩みを抱える人だった。 真理はあっても健全さを知らない家庭の文化が染み付いたふたりだから家庭の中に苦労が絶えなかった。 あまりにも問題が多すぎて何が問題だかわからなかった。 だけど、神様は、多くの助ける人を送ってくださり、まーの小さな家族がひとつひとつ問題に目を開き、受け入れて、解決する方法を辛抱強く教えてくれた。 生育家庭の問題に気がつくこと自体が実はとても難しいことのようだ、結構な数の専門家のお世話になったが「よく気づいたね」と、よく言われた。 楽しくやりがいのあることも多かった。 自分の人生の解決された分野は喜びそのものだった。 しかし、未解決事項の残る分野、つまり愛の問題、自己肯定感が影響する分野の育児はあまりにも孤独で絶望だった。 問題の答えを求めてあちらこちらへとさまよった 精神科医が勧める家族問題に関する講習を受けて自分が直面している問題の構造を学んだ。 わかってみて、やるせなくて、毎日壁を蹴って叫んだ。 蹴りすぎて壁に穴が空いた。 常に呼吸困難気味で2週間ほとんど声が出なくなった。 カウンセリングもたくさん受けた。   講習とカウンセリングで、準備体操ほどの問題は溶けた。 15回ほどの講習の最終段階で、学んだ結論は、、、。 安全でない家庭で育ち、幼少期に愛を得られなかった人は、その虚しさと一生付き合わなければならない !?!?!?絶望を感じた。   まーのなかに眠っていた怒りが爆発した。 兄が大学生になって家を出るまでは陰湿ないじめや刃物による脅しを受けていた過去を思い出す。 余りに辛くその思いを便箋に書くことも悔しく思え、書き損じのハガキ3枚に紙を貼って書きなぐって送りつけた。 親にも何か送ったようだがよく覚えてない。 単なる小道具として使っているのはわかるが、怒った父がまーに包丁を向けるので、里江穂の教育上の危機感を覚え、両親と絶縁した。智悦の時は妊娠出産を隠した。 しかし子供の成長は1分も休む事なく、自己憐憫に浸っている場合ではない。   まーの家庭は完全に閉ざされていた。 いつ暴発するかわからない父があらわれるといつも空気がピリピリとした。母親はまーが慕っている教師の批判や、友だちの母親に対する愚痴を無分別に口にする人だった。まーは母親の言う事が正しいと思っていた。 大人になってから、その中に信頼できる出来る人達がいたと気づいた時には遠く離れてしまい。償うこともお礼を言う事もできなかった。   とにかく、自分の家庭はオープンにして、子供達には信頼できる大人、健全な大人になるべく関わってもらおうと考えた。 保健士さんに相談もお願いした。精神科の世話にも随分なった。 保育園の園長先生が理解してくれて相談に乗って支えてくれた。 子育て関連の講演会を見つけるとせっせと参加した。 児童虐待防止センターのミーティングにも毎週通った。 医療の支援制度も受けた。 歩くのも辛いほど体が痛くなったり、精神的にもう無理という時には数カ月単位で、社会協議所の家事支援サービスを受け一緒に家事してもらいながら、ボランティアさんに話相手になってもらった。   智悦の産後は里江穂と沙織を42日間児童相談所に預けた。 施設の職員には、会いに行くとかえって子供達がホームシックになる言われ、一度も面会に行かなかった。 あまりにも気が遠くなるほど世の海を彷徨った。

鄭明析牧師が「親は産んでくれただけでも感謝だ」と教えてくれた

鄭明析牧師が、ある時、「親は産んでくれただけでも感謝だ」と話した。 スパーンと頭を殴られたような衝撃を受けたが、それまでの人生の最高の希望の言葉となった。 そして、「神様に罪を告白して悔い改めなさい」という説教が繰り返し伝えられ目安の期間として3年半が与えられた。 目が覚めた。私は何に答えを求めていたんだ!と気付いた。 カウンセリングや保健センターや自助グループのミーティングの参加の方はさっぱり忘れて、ようやく心を神様にだけ向けて祈った。 人生の中で嫌だった事、消したくても消せない恨み、自分と親族のが持つ罪と思うこと、すべて神様に告げて、悔い改めた。やりなさいと言う時にやったので神様の力を受けて、先生のように何度でも根気強く祈ることができた。 神様はひとつ残らずうけとってくれた。 どうしてわかるか?今まであちこち彷徨う中で、どうやっても解消することができなかった深い恨みの感情、自己憐憫が、虚しさが、正直な心で神様に告げるほどに溶けてしまったのだから否定ができない。 3年軽くかかった。この悔い改めで、驚くほどの涙が流れた。 鄭明析牧師はだれかの罪までも自分の罪と思って真剣に悔い改める祈りを徹底的にする。 腐って死ぬしかない人が生きるようになるからだ。 まーは気が狂ったと家族に言われていたらしい。 後で、姉があの時まーが壊れてくれてよかったといった。 そうでなければ自分が壊れていたと。 3年半の悔い改め期間の最期の日に、前日に徹夜して書いた父と母と兄への手紙を投函した。 便箋に、今まで心を痛めることをしてしまったことへの謝罪の意を書いた手紙だ。 悔い改めの祈りの期間がなければ決して書く事ができなかった手紙だ。 姉が言うには、受け取った父と母は、(いつものように)的の外れたことを言って喜んでいたそうだ。 兄嫁からは3年半前の私からの恨みのハガキ以来、兄も問題に向き合ったという主旨の報告と安堵の返事が来た。 ある時、先生が、「今まであなたたちを傷つけたことがあるならば本当に申し訳なかった」と、謝った。 感謝するばかりで謝ってもらうことなんて!と誰もが思ったが、あまりの真実の謝罪に涙した。 そして、「教会の指導者はついてくる人の心を傷つけたことを謝りなさい」と言った。 牧師が主日の説教の最中に、講壇から降りて半分泣きながら深く頭を下げた。 そして「親は子供を傷つけたことを謝りなさい」と言った。 まーは誰よりも子供達を傷つけた。 数日の間、時期を伺って里江穂に向き合って真剣に頭を下げて詫びた。 謝ることの前提には罪がある。 罪のある人が真実に謝ることは悪から善に渡ってくることだから本当に難しい。 神様の力を借りて謝った。本当に申し訳なくて泣き声になった。 幼い里江穂もちゃんと聞いてくれた。 真実な悔い改めに成功すると、人はその時から全く違う世界を生きるようになる。 このことを身をもって教えてくれたのは先生だ。 👩‍👩‍👧👨‍👨‍👦👩‍👩‍👧👨‍👨‍👦👩‍👩‍👧👨‍👨‍👦👩‍👩‍👧 まーは自分の父と母に絶望していた、なにかを期待するのは完全に諦めていた。 自分を愛することすらできずに、うわべだけの平和だけで生きるつもりでいた。 ガンのように、30年も、まーの心を蝕んだ両親への恨み、寂しさ、ふとしたと瞬間に襲ってくる悲しみは、完全にどこかへ行ってしまった。 恐怖と不信感の向こう側にあった父や母の素顔にも素直に目を向ける事が出来るようになった。 もちろん、悔い改めが完全に完了したわけではなく、まーさんの心には悪い心がまだまだ残っていて、その方面では戦いの日々だ。 神様の癒しに限界はない。自分さえ諦めなければ絶対に勝利する希望に満ちた戦いだ。 🕊🕊🕊🕊🕊🕊🕊 私を神様の愛に繋げて幸せで満たしてくれたのはくれたのは鄭明析牧師だ。     *著作権について*当サイトに掲示された絵、写真、文章、映像などの著作物一切は信仰の目的に創作され、著作権が保護されており、本来の目的以外の用途に使用される場合は、関連法令に抵触する可能性があります。]]>

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