今から5年ほど前の小学校の夏休み。
コロナ禍真っ只中を過ごしていた子供達は、
夏休みを祖父母宅で過ごしたかったのですが、
コロナ禍で、帰省するのが難しい状況でした。
けれど、子供達のその願いが、
考えもしなかった方法で叶えられたんです。
夏休みに入る3週間ほど前、
祖父母からあるものが届きました。
小学校に上がる前の子供達の幼い日の様子を撮影した動画でした。
長期休みの度に帰省し、祖父母宅で過ごした日々の記録です。
夏休みに入ってからその懐かしい映像を子供達と見ました。
幼い日にプールや家の中で遊んでいる姿など、
懐かしい映像が盛りだくさん。
映像を見ている時、私は、まるで実家で過ごしているかのような気分になりました。
「ママ、ビデオを見てて、
ばあちゃんのおうちで過ごしているような感じがしたよ」と話したら、
「うん、、でも、やっぱり行きたーい!」と子供達。
祖父母の元に行きたい想いを募らせながら過ごしていたある日、
再び祖父母から、別のものが届きました。
今度は、食器類でした。
帰省する度に子供達が使っていた専用の食器。
お気に入りだったので、子供達は大喜び♪
早速その食器を使って食事をしました。
ばなな「ばあちゃんちで食べてるみたいだね」
めろん「うん、、でもやっぱりばあちゃんちに行きたいな…」
行きたい想いを一層募らせて過ごしていたある日、
祖母から、「小さい頃に使ってたプールを送ってあげるね」
とのメールが届きました。
プールで遊びたくて仕方がなかった子供達。
そのことを祖父母に話したことはなかったのですが、
まるで子供達の心を知っていたかのように、
絶妙なタイミングで連絡をくれました。
プールが届く前日の夜、
寝ている子供達の枕元を見ると、
洋服ではなく、水着がおいてあるではないですか…。
起きたら水着を着て過ごし、
プールが到着したらすぐに遊ぶつもりでいたようです。
心待ちにしているのが伝わってきました。
翌日の午前にプールが到着。
幼い日に、帰省する度に使っていた幼児用のプール。
身長約150cmと130cmの姉妹。
小さい頃のように寝そべることはできませんが、
向かい合って座ることはできました。
プールが届いたその日、お昼ご飯を挟んで、
午前午後、めいっぱい、小さなプールで水遊びを満喫した二人。
神様が、
コロナ禍で帰省できない状況をご存知で、
子供達が残念に思い、いつになったら行けるのかと、
その時を心待ちにしている子供達の心を分かってくださり、
予め様々に働きかけて下さったことだと分かりました。
祖父母の元から、実家で過ごした幼い日の映像が届くようにし、
それを見ることで楽しみつつ、
まるで祖父母宅で過ごしているかのような気分にさせてくださったこと。
神様が、帰省の度に子供達が使っていたお気に入りの食器を、
祖母が子供達に送りたくなるように働きかけてくださり、
子供達がその食器で食事することで、
祖父母宅で食事しているような気分にさせて下さったこと。
幼い日に帰省の度に使っていた幼児用のプールを、
神様が、またもや祖母が子供達に送りたくなるように働きかけて送るようにさせ、
子供達がそのプールで遊ぶことで、
祖父母宅で楽しく水遊びしている気分にさせて下さったこと。
子供達の願いは、実際に祖父母宅に帰省して楽しく過ごすことでしたが、
神様の方法は違いました。
自分たちの住んでいる家にいながら、
まるで祖父母宅で過ごしているかのような環境を作ってくださり、
楽しく過ごせるようにしてくださったんです。
わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。(イザヤ書55章8-9節)
将来にばかり望みを置いて生きる人たちは、
いつも「将来、将来、将来」と言います。
そうしないで、いつも今、今、栄えるようにしてくださいます。
自分の考え通りの祝福、その考える通りの祝福ではありません。
神様の方法通りです。神様が下さる時には違う形で下さいます。
それがふさわしいからです
<キリスト教福音宣教会 鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師の説教より>
子供達は、実際に帰省できないことを残念に思う気持ちがありながらも、
神様が、帰省できないことをすでにご存知で、
予め祖父母を通して実家にいるような環境を作ってくださり、
楽しむようにさせてくださっていることだと分かって感謝し、
暑い中、小さなプールでめいっぱい遊びました。
帰省できない状況の中でも、最大限、
実家で過ごしているような気分にさせてくださる
神様からのいきさつのプレゼントを受け取った嬉しい夏休みでした。
このいきさつのように、
今までも、そして、これからも、
宇宙・地球・万物・人間を創造された全知全能な神様が、
全てをご存知で、
自分が願うやり方ではなく、
自分には思いもよらない方法で、
その時々、神様からご覧になって一番ふさわしい方法で、
自分の願いを叶えてくださることを信じて、
自分の心を空け、神様にゆだねて、
神様の働きかけに気づいて感謝して生きていきたいです。
(2020年8月の記事をリライトしました)











