昼間、町を歩いていると、
介護されている高齢の方と
すれ違うことがあり、
車椅子を押す若い人との
会話が耳に入ってきます
すれ違っているだけなので、
正確にはわからないけど、
だいたい2パターンに
分かれるようです
穏やかに
「いい天気だね~、ありがとう~」
とニコニコしていらっしゃる方、
一方は、顔をしかめて、怒鳴ったり、
何やら文句をいっておられる方。
私の大叔母は多趣味で、海外に住み、
政府の要人にも友達が多い、
とてもとても魅力的な女性でしたが、
晩年、脳の病気になり、徘徊し、
家族や友人のこともわからず、
亡くなりました。
でも、
敬虔なクリスチャンだった彼女は、
最期までお祈りを
かかさなかったそうです。
人間、理性がなくなり、自分が
わからなくなったときに、
本当の姿があらわになるなーと
思ったものでした
私は短気で怒りっぽいから、
彼女のようになったら、
きっと怒り続けて、どなり散らすかもしれないし、
お祈りもできないかもしれない(^_^;)
さて、以前、摂理の教会で、ある女性が
入退院を繰り返していた高齢のご主人について
話してくださいました。
その男性は、脳の病気で倒れ、
その時は、一命はとりとめたものの、
脳に障害が残り、
奥様やお嬢様の名前を忘れたり、間違えたそうです。
でも、摂理の先生の写真を見せて、
「だれかわかる?」と聞いたら、
「何言ってんだ、先生だろ」と
はっきり話されたそうです。
数十年間共にいた妻子の名前を
忘れるほどの深刻な状況、
でも元々神様を信じていなかった彼が
10年前に出会った神様と先生のことは、
はっきり認識していました。
彼の脳の深いところに、
神様と先生への愛が
生きていたのだと思います。
もし自分が脳の病気になって、
理性でおさえることができなくなったら、
私は一体どんな姿になり、
一体どんな言葉を発し、行ないをするんだろう・・・
考えると怖くなります
脳の病気になったり、重い病気になって、
それまで紳士的だった人、
人格的だった人が
別人のように豹変する話はよく聞きます
今は、理性で抑え、表面をつくろい、
自分の弱さや醜さを覆い隠すことができても、
自分の根本を治していなければ、
人の目をだますことはできても、
神様の目をごまかすことはできません
その人の本質である霊を生成するのは、
人から見られる姿や何かをやった功績ではなくて、
その人の心の奥底にあるもの、脳の奥底にあるものであり、
その人の本質、自分の本当の姿が大事です
いま、
あなたの脳の深い深いところに
あるものは何ですか?
寂しさ、悲しみ、怒り、嫉妬、いらいら、絶望、自己嫌悪、
周りの人への嫌悪感、人との対抗心、名誉欲、物欲、プライド…
そんなものとサヨナラして、
心に愛をいっぱいに満たし、
歓喜と喜びの天国の世界に住めるよう、
今日も私達は
神様の御言葉を
脳にびっしりと詰め、
自分を治し、自分を作っています
(2014年6月の記事をリライトしました)