摂理ママのあっこです
今日は朝から雨
(豪雨注意報もでました)
幼稚園生の息子は
家を出る前にぐずぐず
「あめきらーい。ながぐつやだ。レインコートやだ」
なんとか説得して
長靴をはいて幼稚園に向かいました
(レインコートは諦め、上着を着せた)
外に出たら
水たまりを足でばちゃばちゃ
息子「あめってたのしい。あめだいすきー」
あれれ、
さっき言ってたのと真逆じゃない?
次々と、水たまりを見つけては
足でばちゃばちゃ
あっこ「はやく幼稚園行こうよー」
息子「まいにち、あめになればいいな」
おいおい、
それはこまるよ(苦笑)
最初は、
まったく子どもって、
わけわかんないと思ったけど
心から楽しんで
遊んでいる息子を見ているうちに
いやちがう、
私が子どもに学ぶべきだ、と気がつきました
自分が好きとか嫌いとか
自分がやりたいこととか
自分なりの計画、こだわりとか
自分の見栄、プライドとか
さっきまでこう思っていたからとか
そーいう面倒なことが
全くない
そのつど起こったことを
心から喜び、感謝し、楽しむ
そのシンプルさ
心の素直さ
心の柔らかさ
子どもってすごい
子どもの心には余計なものがないんだ
大人の私の心、余計なものでいっぱい(> <)
自分なりの
理屈や理論で
自分の考えで
前もって道を作ってしまう
ちょうど
ボールペンを
傾いた地面におけば
傾いた通りに転がるのと同じこと
何をしても
何を見ても
そこに
神様の考えを入れようとしても
傾いてしまう
だから
いつも同じことの繰り返しなんだ、、、
子どもを見て
深く反省した登園の朝でした
2016年5月11日、摂理、鄭明析牧師の御言葉より
「人間も<考えの下地が傾いた方>に考え、行なうということです。だから<基本の考えの下地>が間違っている人は、それを直してこそ、正しく判断し、決定し、正しく行なうことができます。」
あっこ