つれづれ

がん患者と家族〜子供への伝え方、向き合い方、どうやって「母」を続けていくか


こんにちは、まりもです!

入院中、病棟はだめだったんですが、外来のフロアで子供たちと面会できました。

1回目
長男 ママベッタリ
次男 ジュース!ジュース!と自販機にベッタリ
三男 知らないおじさんに抱っこをせがむ

何しにきた、、、(特に次男)

2回目
長男 柱の周りをぐるぐる回り続ける
次男 それを追う
三男 新聞の自動販売機にベッタリ
見かねたまりも母が長男と次男をおやつで誘導(まりも絶食中)
三男は強制連行に激しく抵抗して暴れ、地面に足がついた瞬間に再び自動販売機にダッシュ

全員何しにきた、、ヽ(´o`;

まあ、元気そうでよかったよ、、
と出入り口まで送ると
急に次男が

ママ、一緒車のろう
ママ、帰ろう
と顔を覗きこんできた。

うわ、、、(;_;)と思い

うん、一緒に帰りたいんだけど、まだママ悪いのチョキチョキしないといけないから、一緒にいけないんだ。
元気になったら帰るから、待っててね(^ ^)

次男は大人しく帰って行った。
長男は最後まで振り返っていた。

ママがいるのが嬉しくて、はしゃいでたんだな、、、
子供たちは思ったよりわかってる
わかってないのは自分のほうだと感じた瞬間でした。

今日はがんになってのわがやの子供たちとの関わりをテーマに書いてみたいと思います。

まず、どう伝えるか
悩む人もいるとあとで知りました。
うちは基本が隠さないので、確定診断が出た時点で、特に悩まずにそのまま話しました。
とくに長男は人体の不思議の図鑑やドキュメンタリーでがんについて、どういうものか知っていたので
ママ、がんが見つかったよ
というと、あーあれね、という反応でした。
見つかる前からずっと体調は悪く、子供たちには薬の場所も教えて、いざというときはとってきてもらったりもしていたので
ママがなんか病気なんだなってことはうすうす感じていたと思います。
伝える頃には私自身の心の整理もある程度ついて、今後の動きも決まっていたので
次男にも、
ママ病気だったから、これから病院で色々検査しないといけなくなるんだ。
その間、ひーくんとあーたんは保育園にいくよ。前に行ったことあるよね。おもちゃがたくさんあって、お友達、先生がいる楽しいとこだよ。ママむかえに行くから遊んで待っててね。
と伝えると、保育園を楽しみにしてくれました。
元々、次男は三男の出産前に短期的に預かり保育に出したり、2歳児クラスに行かせて母子分離に慣らしておいたので一時的に保育園に行かせることへの抵抗はほとんどありませんでした。
長男も状況理解してくれ、トワイライトが楽しみだなーと言ってくれました。

心配していた三男は、保育園初日、到着しておやつを見つけると振り返りもせずいってしまい、、泣くこともなく毎日楽しく過ごしていたようです。
先生方もあまりの落ち着きっぷりに、今まで預かり出してましたか?と聞かれるくらいでした。

と、あまりに聞き分け良く見えますが
やっぱり子供なりには不安もあって
家に帰ってくると、ママじゃなきゃだめ!が全員激しく、激しくなりました。
あとで考えると情緒も不安定だったのかもしれません。ささいな喧嘩やわがままが増えました。長男は宿題をやらなくなりました。
子供なりのSOSだったのかもしれません。
特に次男はただでさえママじゃなきゃダメの時期だったので、本当に大変になりました。
入院直前、おばあちゃんがきてくれたら
きらい!帰って!触らないで!
と大抵抗。
姿が見えなくなると、ばあばかえった?とうれしそうにする。
あんなに大好きだったのに、、、

おばあちゃんが来るということは、私が代わりにいなくなるということを勘付いていたんだと思います。
逆に長男は私から離れておばあちゃんに甘えることで少し落ち着きました。
でも実際に入院中一番不安定になったのは長男で、初日の夜から涙が出るとベッドでシクシク泣いたり、夜もおばあちゃんから離れなくなりました。
わかってるからこそ、長男にはもっとちゃんと話さなきゃいけなかったなと反省しました。
ママは悪いところを取りに行くんだよ。
取ったら戻ってくるよ。
そのまま急にどこかにいったりしないよ。
誰も悪くないんだよ。って

次男が私にくっついて離れないから、三男にも不安が伝染し、取り合いはヒートアップ。毎日ただでさえめちゃくちゃなのに、どうやって過ごしていたかよく覚えてません。だだ、その間、旦那さんが黙って食事以外の家事は全部してくれていました。
夜に洗濯回して干して
子供たちが寝てから掃除して
朝はゴミ出して、長男送って
今まで全然しなかったのに

正直
やればできるじゃん、、、という気持ちと
このままではおばあちゃんが来るまであの人はもたない、、という心配が入り混じりました。
案の定、一週間しかもちませんでした、、
それでも、私が無理してしようとすると、もうしなくていいよ
ちゃんと回らなくても今は仕方ない
と言ってくれたのはありがたかったです。

そして旦那さんが子供たちにママは病気だから無理させちゃだめだとか
今日は具合悪いから起きれないからねとか
色々都度話してくれた、そういうフォローも大変ありがたかったです。
私が言っても聞かなかったり、話せる気力もないときもありました。

今思えば、旦那さんも十分、自分のことも気遣ってくれていたとわかるんですが
当時はもっと気遣ってほしい、声をかけてほしい、不安に共感してほしいという思いが強かった気がします。
特に旦那さんは不安に共感なんかして自分まで弱くなってはいけない!と思っていたと思うのですが
女性はわかってほしいんですよね、、

でも、そんなもやもやが解けた一言がありました。

子供たちが寝てから

私が死んだら、、、どう?困るのはもちろんとして、、

と率直に聞いてみたんです。
そうしたら、少し言葉を考えてから

まりもが死んだら、どう生きていっていいかわからない。

と答えてくれました。

この言葉を聞いた瞬間、自分は旦那さんの不安や思いや愛情がわかって
旦那さんに対するモヤモヤはなくなりました。

この人残して死ねないわ

ただ、それだけになりました。

いざ、手術、入院が決まると
ママは悪いのチョキチョキしに病院にしばらくお泊まりするよ。お留守番よろしくね!
パパを大事にして、助けてね
ばあばにも優しくして、いうこと聞いてね

というと、子供たちもわかってか
騒いだりはしませんでした。

腫瘍が見つかれば、悪性か良性か
悪性なら転移があるか、手術できるか
手術できるなら、手術までに転移が広がらないか
手術したら、病理検査の結果がでるまで加療(抗がん剤、放射線)が必要になるのか
加療が始まれば、副作用はどうなるのか

心配がつきません。

本人はもちろん
家族の特に精神的なケアを
早期的に求めていいと思います。

私は自分で色々調べて
都度、考えうる事象と、それに対する対応の選択肢を旦那さんに示し
自分の意思を伝えてきました。
これ、結構大変な作業だと思います。

例えば加療についてなら
病理検査でリンパ節転移がなければ、経過観察で終わり。
あれば、抗がん剤適応。
S字結腸癌に使われる抗がん剤のセット、投薬スパン、方法、副作用、副作用の出るタイミングを調べて、自分が生活する上で何が障害になるか
リスクを割り出す。
使用した場合としない場合の再発率、生存率

その上で、自分はどうしたいか、、、

こういうことはがんの相談窓口が色々あるので聞いたら教えてくれると思います。
使えるものはどんどん使ってください。

旦那さんは、わかった
まりもはどうしたいの?
といつも聞いてくれます。
だから私は答えます。
でも旦那さんの私には言えない思いもあるだろうなと感じています。
そういうところを、誰か聞いてあげてほしいな、、と感じていました。
本人が言わないかもですが、、

そして、がんになって、まず心配したのは子供のこと

がんと仕事の両立についてのポスターが院内にたくさん貼ってありましたが
私が知りたかったのは
仕事、どうしよう
みたいに
母、どうしよう
これからどうやって母を続けていったらいいんだろう?
ということでした。
がんになっても、母であることは変わりません。
でも、いままでみたいにはできなくなる。
いままで築いてきた自分の中の「母としてのあり方」が続けられなくなる
このことに対する不安だったと思います。
がんと戦いながら子育てする母像が見えないというか、、、
そういう情報を探していました。

院内の情報センターで資料を読み漁っていると、ふと一つの冊子が目に入りました。
それはママたちのがん体験記でした。
幼い子供を抱えて急に見つかった癌への衝撃、転移の追いかけっこ、家族との葛藤、そして向き合って強くなった絆、、
ああ!私が知りたかったのはこういうことだ!と思いました。

答えはないんです。
ただ、結局は自分に正直になるしかない。
向き合って、生きたいという自分に正直になって
遠慮や羞恥心をかなぐり捨てて
家族のため、自分のために生きようとする姿
それがそれぞれの答えに思いました。

新しく、また作っていけばいい

1人ではできなくなっても

家族と、共に

教会の人やママ友にも助けてもらいながら
子供の学校の先生にも事情を話してケアに協力してもらったり
役所や、病院のスタッフさんに相談したり
周りのたくさんの人に助けてもらいながら
諦めることなく
悔いなく

いつまであるかわからない子供たちと共にできる時間
自分の貴重な命の時間

最後がいつかなんてわからないけど

最後にあーよかった^_^って言えるように

 

 

最後に、その冊子を作られた支援団体を下記にご紹介します。
ひとりでも多くの必要な方に、この情報が届くことを願って

【NPO法人 がんのママをささえ隊ネットワーク ETERNAL BRIDGE】

子育ての最中に‘がん’という病気とも向き合わなければならなくなったママとそのお子さんを母親目線で支えたい仲間で立ち上げた非営利団体です。

http://www.sasaetai.or.jp/

ABOUT ME
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まりも
人生にさ迷っていた大学院時代に北の大地で摂理に出会い、散り散りだった日々がまりものように丸くまとまり始める。その後、仕事で首都圏へ。湖に帰りたいと泣きながら激務によりいっそう練達され、大分美しい球状に近づいてきた。近年、暑さに弱いのに日本有数の暑さを誇る地に嫁入り。負けじと光合成に励み、子まりもを増殖。3度の流産にもめげずに第二子、第三子を出産。現在は阿寒湖のように懐広い夫と共に三人の男子まりも、まーちゃん、ひーくん、あーたんの育児に奮闘中。