つれづれ

がんになって大変だったこと、いま明るくいられるわけ


こんにちは!前回大腸がんがみつかりました、まりもです。

というわけで、手術を目前に現在入院中です。
病室は見晴らしがよく、なかなか快適に過ごしています^_^
今、外を見たら天使のハシゴが見えました。
今日も神様が共にしてくださっているなぁと感じます。
ちなみに俗に言う天使のハシゴは気象現象としては薄明光線というそうです。

入院前はもう11月なんてピンと来ない天気でしたが、退院したら急に冬になってたりして^^;
子供たちと散歩しながら、金木犀を探したのがずいぶん前のことに感じられてしまいます。
金木犀はまりもの好きな花の一つです。
だから見つけては、これは金木犀だよーと話しかけていたからか
次男のひーは散歩していると
「きんもくせい!きんもくせい!」
と指差して教えてくれるようになりました。
長男のまーは学校の帰りに花を拾ってきては、玄関で花を握ってきた手を開いて
「匂いかいで!」
と嬉しそうに言ってくれて
何気ないことが子供たちの中に染み込んでいること
いつのまにか、人のことも考えられるようになった子供たちの優しさに
じんわり笑顔になります。

そんな子供たちとも入院中はしばしお別れ。
この子達のためにも早く元気にならねばと思います。

さて、今回は前回の前振りはちょっと置いておいて
「がんになって大変だったこと」
を書いてみたいと思います。

正直、身体面はあんまりないです。
意外かもしれませんが、がんだからという症状はほとんどないからです。
足が折れたとか、みたいにがんの場所が痛む、とかはないんです。
私の場合は、見つかる前からある腹痛と便秘ぐらい。あとは免疫力が落ちていたようで風邪などもらいやすかったことが一番大変といえば大変でした。
いつもよりも簡単に体調が悪く、しかもひどくなりやすかったのがそうだったんだなと後で気づいた感じです。
だからじわっじわっと弱っていっていて
気づいたら体力も体重も落ちていたみたいな。
そういう意味では慢性的なだるさが一番大変でしたかね、、、
がんができて、大きくなるにつれてそこが痛むとかならわかりやすいと思います。
しかし、がんはそういう見える症状はなく、見えない間に体の土台を蝕んでいく感じ。いまシロアリみたいだなと思ったり。
気づくくらいの症状が出る頃には
あちらこちらやられてしまって修復のしようがない。
だから検査して早く見つけるしかないんです。症状が出てからでは遅い。

ただ、私はまだ手術できる段階だったし
手術後の加療で放射線とか抗がん剤をしたら
この点は変わってくるとは思います。
身体的にきついことも出てくるだろうとは覚悟してます。
だからあくまで現時点で、ってところではありますが。

じゃあ、がんになってまず何が大変、辛かったか、というと
やっぱり精神面だと思います。
極端にいうと
「死」

がんがどの段階だとしても
漠然とがんは怖い、死につながるものというイメージはありますよね。
だから「まさか」→「え?死ぬかもしれない?」
とある意味考えが飛躍して恐怖と絶望が一瞬で襲ってくる。

でも見つかったときより、今の方が私は自分は死なないだろうなと思ってます。
だから死ぬかもという不安はいまはあんまりないです。

普通、がんだとわかったら色々調べると思うんです。
これからの検査や治療法、生存率、費用のことなんかまで。
ちなみにまりもは大学院でがん化のメカニズムに関する研究をしていたり、仕事でも抗がん剤の開発なんかもやってました。
つまり
ちょっとはがんについて知ってる身です。
だから最初、自分の腫瘍の写真をみたとき
頭の中にいろんな情報がばーっと流れていきました。
そしてまた、調べもしました。

そして考えうる最悪の事態を想定しました。その覚悟をしました。

そこまでは、本当に精神的に辛かったです。

でもそこを抜けたら、逆に心は楽になりました。
そして現実と向き合いました。
病気の全体像を把握してから自分のいまの位置、状態を把握しました。

死ぬ確率は低そう
でもこれからどんな大変なことがある可能性があるのか
それらとしっかり向き合ったら
怖さはあまりなくなりました。
じゃあ、どうしたらいいのか
そのためにできることのために
入院までの残された時間、奮闘してきました。

結論
やっぱり知ることは大事だと思います。
その時は辛くても
しっかり向き合ってこそ
残された時間、悔いなくすべきことがわかる気がします。
無知は恐怖を増大させます。
暗闇が怖い子供のように。
照らし出して把握すれば恐れるほどのことはなかったとわかるし
正体がわかれば対処できる。
特に自分について、知ること。
現状の自分と向き合うこと。
これは病気だけじゃなくて
家族のことなども含めて様々でした。
でもこれはがんになったからじゃなくて
平素も
または人生のある分岐点において
それはもしかしたら平凡な今日かもしれない
必要なことなんじゃないかなと
考えたりします。

自分の願いは何か
大切なもの
どう、生きたいか
人生において何を成し遂げたいか
生きる目的

今までの人生も振り返ってみて

遅いと言わないでください
これからを考えたら
いまが一番若いんです
今を逃せばもっともっと遅くなるんです
だから

御言葉の中で、霊も肉も栄えるとおっしゃいますが、実際、自分の現状を見て深く考えました。
いままではそれなりに経済的にも安定して、子供たちにも恵まれて、幸せに暮らしているから、確かに栄えた、感謝だと思ってきました。
たしかにそうです。
でも、今回のことで考えが深くなりました。
肉も栄える、というと、経済もよく、地位名誉もあり、楽に暮らすことを考えがちです。
しかし、それは人間の目で見たときで
神様からみたら、何が「栄える」ことだろうか?

そう考えてみたとき
はっきりと
いま、自分は肉も栄えていると悟りました。
神様を知って、生きる目的を知って
神様が今生きているこの肉体にも新婦級に接してくださっている
愛し、守り、働きかけてくださっている。
これ以上の「栄え」があるでしょうか。

将来の希望があってこそ、明るいといいますが、私には死後、永遠までの希望があるのです。
これがいまの私の底抜けの明るさの理由だといいたいです。
寝られないとか、手術の不安とか
大変なことがないわけではないです。
でも、はっきりとした希望があるから
私は今日も笑っていられます。
鄭明析先生のように
どんなときも、どこにいっても
変わらず神様を愛して喜んで生きたいです。
これが、いまのわたしです。


ABOUT ME
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まりも
人生にさ迷っていた大学院時代に北の大地で摂理に出会い、散り散りだった日々がまりものように丸くまとまり始める。その後、仕事で首都圏へ。湖に帰りたいと泣きながら激務によりいっそう練達され、大分美しい球状に近づいてきた。近年、暑さに弱いのに日本有数の暑さを誇る地に嫁入り。負けじと光合成に励み、子まりもを増殖。3度の流産にもめげずに第二子、第三子を出産。現在は阿寒湖のように懐広い夫と共に三人の男子まりも、まーちゃん、ひーくん、あーたんの育児に奮闘中。