摂理ママのあっこです
今年の夏は
摂理史に大きな御働き
”和睦”の御働きがありました
「仲良くしなさい。1つになりなさい。
わだかまりがあれば、対話でといて
和睦しなさい」
長年、摂理にいて、
いろいろなことがありすぎて、
いろいろな状況と
感情が絡み合って
ぐるぐる巻きになって、
もう解けないだろうと
心のどこかで諦めていたことが、
ありました
神様を信じていても、
人間同士だから、
気が合わない人もいれば、
ちょっとしたことで
心が傷つくことはあります
それは、誤解もあるし、
自分が悪い場合もあるし、
相手が悪い場合もあるし、
両方の場合もあります
和睦の御言葉が出た当初は、
「どうしよう。
わだかまりが山みたいになっている私。
恥ずかしくて、言い出すこともできない」
と戸惑いました
そして、
自分の足りなさを痛感しているので、
「私が悪いんだから」と
口をつぐんだままでした
でも、
御言葉に従い、
兄弟姉妹たちの働きかけに従い、
兄弟姉妹と本心で対話するようになりました
「実は、あの時・・・ね」
一人一人が心のうち、
心の奥にある感情を話すうちに、
今まで口に出さなかったことを
ぽつりぽつりと話すうちに、
お互いの弱さ、強さを知り、
お互いの状況を知り、
お互いを認め、
お互いに情が移り、
もつれにもつれた糸が
少しずつほぐれ
山のようなわだかまりが
溶けていきました
閉ざされて固まっていた心が解けて
からまった感情の縄がほどけて
心がやわらかくなりました
そして、
私の周りにいる人たちが
以前よりももっともっと
愛おしく、大事な存在だと
強く感じるようになりました
和睦の御言葉がなかったら
その御言葉に従って
みんなが対話をしなかったら
とても苦しい心のまま
過ごしていたと思います
最初聞いたときに
ピンと来なかった
「滝のような和睦」が
確かに起こりました
誰よりも、私こそが
和睦の御言葉によって
救われたと思います
今年の夏、
摂理では世界各地で
そのような和睦の御働きが
起こりました
摂理ってすばらしい世界だと
改めて思いました
そして、一昨日の日曜日、
ちょっとした行き違いから
あっこママが気がつかないうちに、
傷つけてしまっていた摂理のママさんが
「あっこさんの、あの言葉でこう思っていた」と
話してくれました
和睦の御言葉が出なければ、
また1つのわだかまりとして
残ったかもしれないこと、
そのように
心の内を話してくれるから
自分の足りなさを認めて
あやまることもでき、
また、相手が誤解したことを
説明することもできました
大人になってから
相手の言動に傷ついた時、
「このとき、こう思ったよ」と
(決して相手を批判する思いではなく)
心のうちを、
その人に向き合って
本音で話すことができる
そんな関係が
世の中のどこにあるでしょうか
特に、
大人になってから
知り合った人とは
表面上の付き合いをするしかないです
あっこママの普段の生活は
幼稚園や小学校のママ友の世界、
建前と本音を使い分け、
表面上の付き合いで
お互い傷つき合わないように
適度な距離を保って付き合います
笑顔で話した直後に、
影で悪口を言ったり(する人もいる)・・・
器用に人と自分の感情に
折り合いがつけられない
あっこママは
幼稚園ママの付き合いに
ぐったりすることがよくあります
表面上は笑顔で話し、
心の中では舌を出しているような
大人の世界・・・
摂理は
そんな世界ではありません
摂理は
御言葉を通して繋がっている
兄弟姉妹がいるから
鄭明析(チョンミョンソク)先生が
御言葉で結んでくれた神様との縁で
心の中心を見られる神様が
いらっしゃるから、
お互いを信頼できるから
幼子のように素直な気持ちで、
心のうちを話すことができます
自分の心が自由になります
これからも
もし何かあったら
話せばいいや!
話せば大丈夫!
なんて摂理っていい世界なんだろう!!
あっこ