信仰とは、まだ見ぬ事柄を確認し、確信することだ!と聖書に書いてあります。
難しいことのように思いますが、簡単です。
見えない神様を確認していくこと。
そして確認しながら信じること。
確認するためにどうしたらいいでしょうか?
まずは知ることですね。
例として『風』で考えてみましょう!
目にはその姿は見えないけれど、木の枝が揺れるのを見てその存在が分かりますね。
『風』ってお母さんとかに教えてもらいましたよね。きっと。
だからお母さんが感じたように教えて、それが子供に通じて同じ思いになれば、
『風』という存在を認めるようになります。
このように、知っている人に学べば少しずつ分かってくるし、感じるようになり、
少しずつ認めるようになります。
こんな感じで神様の存在を認められるようになってくると信仰を持つようになります。
ここで必要な要素として、心を空けること。
幼な子がお母さんに学ぶ時のきれいな心で学んでみてください。
私にも小さい頃がありました。
自分でいうのもなんですが、田舎育ちのほんとに純粋な子どもでした。
そしてその子供も純粋です(*^^*)
このような心で学べばなんでも吸収できると思います。
僕が初めて神様の話を聞いた時は、一つの学問として聞いていたので、
神様にお祈りしたらいいよ~。と言われながらも、全然できてませんでした。
言われてることができないので、どんどん、話についていけなくなりました。
でも、ある時、自分が何もできてないことに気づいて、とりあえずやってみよう!
と思って祈ってみました。
そこから、信仰を持ち始めました。
神様を感じてみようと努力することが大きかったです。
そうすると、神様が喜んで、私に相応しければ願いをかなえてくれるのをみました。
見えないけれど、存在するし、そばで助けて下さっているのを感じました。
幼子が風を感じるように、見えないけど確かに感じる。
そういう小さいところから始まってきます。
最後は、鄭明析先生の箴言で締めます。
〇きれいに行なってこそ「きれいな人」に会う。