こんばんは
摂理ママのあっこです
「ふぅ、、、
アタシの生活こんなんでいいのかな」
「うちの子、こんな毎日で大丈夫かな。
ばかになっちゃったりしないかな」
ため息をつくことがあります
3歳児がいるあっこママの毎日といえば、、
朝起きて
子供にご飯を食べさせ
公園か、児童館に出かけて
3歳児を追いかけ回し
昼ご飯を食べ、昼寝をさせて、
起きたらまた遊んで
夜ご飯を食べさせて
お風呂に入って寝かせる
疲れて一緒に寝ちゃう
もちろん
ただのママではなくて
摂理ママですから
賛美を歌い、神様のことを考え、対話し
脳は忙しいですが
肉的に考えると
やっていることと言えば
ご飯、遊ぶ、寝る
ご飯、遊ぶ、寝る
:
ひたすらこの繰り返し
(幼児中心の生活なので
ママも幼児と同じ生活をします)
あっこもそうですが、
元々キャリアウーマンとして
バリバリ働いていたママたちは
たえ難い時間だったりするわけです
幼児は遊びの中で、
毎日繰り返される日常生活の中で
ものすごく大事なものを
学び、吸収しているわけですが
大人から見れば
無意味な時間に思えてしまうのです
それで
0、1、2歳の乳幼児が公文に通ったり
フラッシュカードなどの早期教育や
お教室(受験のための塾)が人気です
3歳児ともなれば
複数のお稽古ごとに通っている親子は
多いです
何か意味あることをしなければ、と
ママたちの焦りが
駆り立てているのかもしれません
今日、先生は御言葉でおっしゃいました
幼い時に「一年間行なったこと」が、
成長して「一日行なったこと」ほどにも及ばない。
そっか
幼児は幼児らしい1日でいいんだ
大人から見て意味がある1日を
幼児は過ごす必要はないんだ
箴言を聞いて、とても納得して
今日はすっきりとした気持ちで
公園で子供と遊びました
幼児と大人にこれほどの差があるように、
いやもっと
人間と神様の時には大きな差があります
人が「しばし」対話した後に見たら、
「一日を生きて死ぬカゲロウ」は
すぐに老いてしまった。
そして人が「しばし」田畑に行って帰ってきて見たら、
「一日を 生きて死ぬカゲロウ」は
すでに病気になって息苦しくしていた。
神様の前で人間がこれと同じだ。
<天の国と世の中の時間の比率>を悟りなさい。
大人が意味ある人生を過ごしていると思い
自分の人生が長く続くと思っていても
かげろうのように
その人生はあっという間に過ぎます
そして、
その後は、、、、
ちょっと待った
いま、あなたが行っているその道、
神様から見て
本当に意味ある道を行っていますか?
ちょっと待った
いま、得たいと願っているそのこと
あなたの永遠な生から見て
本当に必要ですか?
ちょっと待った
今がどういう時か
わかって生きていますか?
ちょっと待った
とても大事なことを
諦めようとしていませんか?
あっこ
幼児の時間:大人の時間=人間の時間:神様の時間
あっこママ
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