つれづれ

大阪地震、自分のできること


今日の地震は自分が体験した地震の中では一番大きな地震だったと思います。

うちは尼崎の北部にあり、家族はみんな1階にいて、すぐさまテーブルの下に隠れました。

すごく揺れはしましたが、さいわい棚のものが少し落ちた程度ですみました。

その後、こどもたちは何事もなかったかのように学校に行きました。

パパは子どもたちを見送った後、電車遅延が発生していないかテレビとインターネットで確認。

すべての電車が止まっていることを確認し、取引先に電話。

待機しますとお伝えして、家で過ごしました。

そうしているうち学校から連絡があり、保護者が迎えに行くことになり、いってきました。

微妙な余震も続いているようだったので、良い判断かと思います。

しばらくすると田舎の親からも安否確認の電話があったりと。

やはり、心配してくれる人がいることはうれしいことですね。

 

自分には何もなかったので、こういうときに何か助けになりたいと思うのですが、

急に動くの難しいですよね。

まずは、自分の住んでいる近くの避難所をおさえておくと良いようです。

そこに役所の方で指示ができる方がいらっしゃると思います。

うちの地域は娘の行ってる学校だったので、非難することもなかったようですが。

一人暮らしのお年寄りはこういう時、たしかに不安ですよね。

安否の気遣いはもちろん、その後のケアとかも必要かと思います。

近所の人や身内の人、教会員のご家族など、自分がカバーできる範囲で、

関心もっていきたいと思います。

 

今日、一番びっくりしたのは、電鉄会社の対応でした。

妻が昼前に買い物にいったら、普段見慣れない光景が広がっていました。

電車が踏切のど真ん中で止まっていました。

そして、電車から、踏切のところを降りてくる状況でした。

トイレを探している人がいて、尋ねられたのをいくつか対応して帰ってきたそうです。

この事態に自分は何をすればよかったんだろうと、、、

考えさせられるようになりました。(このときはこどもと留守番。)

結局、自分としては、電車も動かなかったため、仕事も休みとなり、

家族の無事を見守る程度でした。

明日以降の状況がどうなるかわかりませんが、正しい情報を得て、

落ち着いて、できることをやっていきたいと思います。


ABOUT ME
miyachan
尾崎豊の十七歳の地図って歌、知ってるかい!この歌の「何のために生きてるのかわからなくなるよ」というフレーズ。19歳の自分にピッタリはまったよ。 なぜ、生きるかを知りたくて過ごした日々、奇跡的に摂理と出会うようになったんだ。 あれから20年、御言葉を聞き、今は結婚して二人娘のパパ。 そして仕事はフリーランスSE。鄭明析先生の御言葉でさらに大傑作人生に挑戦中だ!