道を歩いていた時、ゴミを見つけました。
その時、急いでいて誰かが拾うだろうと通り過ぎました。
今度は急いでいない時、またそのゴミを見つけるようになりました。
こういう場面であなたはどうするでしょうか?
これは誰かがやらないと絶対なくなりません。
いずれ誰かが来て掃除してくれるかもしれませんが、
自分はその場所を通るたびに不快な思いをします。
自分がそう感じるように、他にも感じる人がいます。
「どうせなら自分が拾っちゃえばいい。」
自分のための行い、他人のための行い、神様のための行い
いずれに考えるかは違うとしても、
自分が人生の中で行動してゴミを拾ったということになります。
人生の中で自分が関われることそれほど多くないですが、
自分を通して他の人の助けになることは本当に大きなことをしたと言えますね。
チョンミョンソク先生の精神を学び、僕もこのようにできるようになりました。
『来た時よりも美しく』です。
『サッカーの時のグラウンドで』
『海水浴の時の砂浜で』
『ジョギングの時の道で』
『空港のトイレで』
自分が使うところを神様が下さったところと感謝して使います。
このようにするとき、自分も精神が生きていると感じます。
このような出来事が先週ありました。
教会でお祈りの時間前に髪の毛が落ちているのを見つけました。
あとで拾おうと思って、その時は祈りに入りましたが、忘れて帰ってしまいました(;・∀・)
そして次の日も同じ場所に座り、また見つけるようになりました。
その時はすぐ拾いました。そしてその周りも一緒に掃除しました。
誰かを待つより、自分が主人となって行う。これがチョンミョンソク先生の精神です。
小さいことではありますが、どのような考えで行うのかが大きいですね。
今日も自分の生活の中で感じたことの主人となっていきます。
毎日このような「考え」を教えてくれて感謝です。