2011年3月11日
八王子震度5強 海岸や震源地近くのような被害はなかったが、それでも人生初めて経験した大きな揺れ まーさんは、正直言うとその時間怠けていた すべき事をさぼって、しかも旦那がなかなか処分してくれない手塚治虫のマンガを読んでいた 突然ぐらっと来た時、いたずらを見つかった子供のように、 神様に叱られたと思った 「こら!なにしとるんじゃ〜!」 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 後ろめたいことをしている人の心理 地震が来たとき家の中で避難場所として定めた場所である一階の廊下に移動して、壁に足で突っぱって背中を押し付けて余震の中縮こまっていた。 ただ命の無事を祈った 今までできなかったことへの後悔が押し寄せた 学校や保育園で離れていた子供達の事は心配だったが、その瞬間はただひとりでいることが心細かった 必死になって神様を呼んだ その時、階段の上のほうから コトン、コトン、と、何かが落ちてきた。 なんとそれは、、、 イエス様の写真立て! 神様なんて優しいんだ(ToT) と、イエス様を抱きしめて祈った 後で家の中の点検したが、この揺れによる被害は意外に少なく、イエス様の写真立てが落下してきてくれたことの他には、本棚の本が一冊パタリと倒れただけだった ちょうど一年生の下校時刻だったので 揺れがおさまってすぐに里江穂を探しに外に出た あちこちから子供を心配する母がウロウロでてきた 母とはそういう生き物である 里江穂は怯えることもなく、下校中にまるで船のように地面が揺れたのが面白くて、おっとっと〜とみんなで楽しんだそうだ 沙織と智悦を保育園にお迎えに行った 元々この日は早くお迎えに行くと連絡をしていたのだが 園長先生に「地震で早くお迎えに来てくれてありがとうござます」と言われてこそばゆかった その日は停電の中お泊りになった園児もいた、 保育士も園児も遠路歩いて帰った保護者も大変だったと思う とにかく生かしてもらえて感謝だ 帰宅して程なく電話がかかってきた、シンガポールから、知らない女の人からだった。 旦那の代理で家族の安否を確かめる電話だった 旦那は、シンガポール出張中で日本にいなかったので震災の揺れを知らない まーさん:「神様に愛されてるね〜」 旦那:「シンガポールで海外ニュースで、日本のショックな映像ばかり流れるからむしろ心配だった」 確かに、、、。被害が大きい場所が取り上げられるからね。 ところで、旦那の所属していたA社のa部署は1ヶ月前に部署ごとB社に移っていた 震災の日、A社のa部署のデスクの真上の天井だけが落下した、部署の移転がなければ大変なことになっていた。 突然の震災の中で先生(鄭明析牧師)はご自身が困難の中にあるにも関わらず、真っ先に日本人達の安否を気遣って連絡をくれた その時の状況下で先生ができる最善の手を差し伸べてくれた。 祈りと手紙だけでなく、人まで送ってくれた、教会のみんなに被害を受けた人はいないのか、親兄弟で被害を受けている人がいるなら必ず報告しなさいと言って、支援をしてくれた。 まーさんの兄は茨城でサーフショップを経営している、隣の家の鉄の建築資材が倒れてきて家屋の一部が損壊した他に来店者がいなくなったが、ネット通販のビジネスがあるから心配しないでくださいと連絡した。 結局兄は教会の会員ではないが、先生から暖かい支援を受けた。 それぞれの位置で、先生から、涙のでるような励ましの手紙を直接受け取った教会や個人も多い キリスト教福音宣教会の全信徒は、困難の中でも、神様に守られている安心感を感じながら、感動をみんなに共有して、お互いと日本全体のために祈り、励ましあって乗り越えることができた。ABOUT ME