生活の中で家族がぶつかるときがあります。
今まで随分御言葉を聞きながら直してきたところもあるのですが、
まだ完全とは言えません。
ぶつかった後は?
間違いなく後悔します。
もう少し優しく言えたんじゃないかな?
とか、
ここで我慢できたらな〜。などなど。
最近もちょっとだけぶつかったのですが
ぶつかった後になって冷静に分析。
娘と一緒にどうやって改善していこうかと話し合いました。
娘みい→出したものはちゃんと片付ける。
ひろこママ→優しく注意する、怒らない。
ごうパパ→優しく注意する、怒らない。
まずはここから。と言うことになりました。
ぶつかった後は、すぐに仲直りしますが
最初から、ぶつからないほうがもっといいです。
お互いに気づいた事を言いながら
家族みんなで質改善していきます。
御言葉を読み返しながら、
ああ、そうだ!そうだよね!
また気づくことが多いのです。
◆<自分の質、相手の質>を研究しなければなりません。考えの質、心の質、体質、性質、行ないの質などです。 <質>を研究し、把握して「毎日、良くつくること」です。
鄭明析牧師の御言葉より
まさに、今の自分にぴったりでした。
家族にぴったりの御言葉が次々に目に飛び込んできます。
◆部屋の掃除をしなくて、部屋が汚いなら「部屋の質」が良くないことです。そうすると「掃除」で裁きを受けなければなりません。 これと同じく<私たちの心>も<行ない>も<生>も、汚ければ<質が悪い心・行ない・生>だから、清くするために「裁き」を受けなければなりません。 汚い部屋をお母さんが代わりに掃除してきれいにする裁きを受ける前に、自分が先に汚いものを掃除しなければなりません。 このように、神様が手をつけられる前に、自分が先に悔い改めて、直して、清くすることです。
鄭明析牧師の御言葉より
あらま。すべてご存知の神様です。
もっと改善すべき自分自身がはっきり見えてきます。
御言葉は自分にとって鏡のようです。
◆人は<脳の質、考えの質、心の質、体質>が良くなければなりません。 <自然石>は「石の強度と質、形」によって、値段が決まるでしょう? <人>は「体と考えの質、考えの形象」によって、価値が左右され、「どのように使われるか」によって、価値が左右されます。
鄭明析牧師の御言葉より
家族みんなで価値ある自分自身を作っていきます。