摂理ママのあっこです
昨日は娘の小学校の運動会でした。
他校の女子小学生と話したら、
その子の小学校の運動会では
勝敗はあらかじめ決まっているそうです。
赤と白が順番に勝っていて
(その子によれば)
今年勝つ予定のチームに
リレー選手の早い子を
集めるそうです。
真偽のほどは定かではないですが
その子のセリフが印象的でした
「最初から勝ち負けが決まっていたら、
バカらしくてやる気でない。
勝つ方も、負ける方も、しらけちゃって
本気ではやらないよ」
娘は
はい、シナリオは全く決まっていません。
5点差!
最終種目が児童全員による大玉送り。
今回は、3回目をやります」
会場は大いに盛り上がり
児童たちも真剣、
応援する保護者たちも真剣(笑)
2回目に大負けした白組が
心情一体になって玉を送り
優勝決定!
白組の娘は
隣の友達とハイタッチをして
喜んでいました ♫
去年は
40点差で迎えた最後の大玉送り、
そこでアナウンス
「配点は40点の予定ですが、勝ったチームは50点とします」
ものすごく盛り上がったのを覚えています(笑)
運動会も、最初から勝敗が決まっていたら
盛り上がりません。
勝敗が決まっていないから、
一生懸命、
全力を尽くして
最善を尽くして
がんばります
人生も同じです。
キリスト教に「予定説」があります。
(宗教改革者カルヴァンにより提唱)
人は生まれる前から、
この人は救われる人、
決まっているという説です。(※参照)
決まっているということです。
すでに生まれる前から
「運命」が決まっているということです。
最善を尽くして努力し
一生懸命生きる
「力」が
出てくるでしょうか。イエス様は
十字架で亡くなりました。
33歳で無残に殺されることが
生まれる前から
決まっていたでしょうか。
摂理の御言葉を聞けば
運命、予定について
精密に
裂いて
教えてくださいます
その合理的かつ
現実的な御言葉に
納得するしかありません ♫
(以下、wikipediaの予定説より一部抜粋)
「予定説は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする。
予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えるこ とはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、 ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。 救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる」