先日、家族で観光牧場へ行き、
牧場のバックヤードツアーに
参加しました
青い空を見つめながら
「神様、私に何かを悟らせてください」と
祈りつつ、子供たちと動物を見て回ります
動物たち(羊、アルパカ、ヤギ)に餌をあげるタイム
まず羊は、というと、
鳴きながら餌をねだり、
餌がなくなるとわかると
鳴きながら他の人のところへ
行きました
アルパカは
餌を仲間と取り合いながら
顔をすりよせてきました
(↓長髪のイケメンのアルパカたち)
ヤギは
餌がなくなるとわかると
「てめぇ、なんでエサくれねぇんだよぉ」
と言わんばかりの目つきで
睨みつけてきました(笑)
おそらくヤギ本人は
そんなつもりはないけれど(笑)、
その動物の本性、性質が現れていました
聖書には多くの動物が登場しますが
新約聖書に羊とヤギについてある
有名な成句があります
新約聖書 マタイによる福音書25章31〜41
人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、やぎを左におくであろう。
そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。(中略)
それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
その時が来ると
神様は宣告されます
羊を右へ、やぎを左へ分け、
従順な羊のような人を天国へ
不従順なやぎのような人を地獄へ・・・
それでは人間は生まれついて
救われる羊のような人と
救われないやぎのような人が
決まっているでしょうか
チョンミョンソク先生を通して
神様はおっしゃいました
1985年3月 鄭明析牧師の御言葉より
最初からやぎのような人生は
いつまでもやぎのような人生で、
羊のような人生は一生羊のような人生なら、
それは法則に合わないことです。羊のような人がヤギになることもあるし、
やぎのような人が羊のような人になる時もあるからです。やぎのような人になりたいと思ったら、
すぐにやぎになります。やぎのような人生が嫌だと思って
自分でそれをやめようとがんばってブレーキをかければ、
やぎのようにはなりません。それだけ神様は
私たちを自由意志の中で暮すようにしました。ヤギのように暮せばやぎと呼ぶし、
羊のように暮したら羊と呼ぶしかない天の立場です。悪人と善人が予定されていますか。
悪人の仕業をしたら悪人と言われるし、
善人の行いをしたら善人と呼ばれるのです。
いま、自分がどのように考えを持ち、
どのように行なうかによって
祝福された天国の世界か、
災いの地獄の世界か、
自らが決定します
自ら努力することを美徳とする
日本人が聞いても、
とても理にあった話だと思いませんか?
あっこ