戦争と自分(2)被害者であり「加害者」である日本人〜満蒙開拓団
(前編 (1)親として視点、ある一家の悲劇より〜特攻隊 より続く)
同じ教会のメンバーが中心的に企画する「戦争と平和」の講演会があり、
去年と今年、満蒙開拓団について、体験者(生還者)の話を直接聞くことができた
【満蒙開拓団とは】
国策により旧満州へ送られた約27万人の日本人開拓民。実際は現地住民の農地等を奪って定住した侵略の側面を持つ。1945年のソ連侵攻時、軍は開拓民を置き去りにして逃亡。過酷な避難の中で約8万人が犠牲となり、残された子供たちは中国人の養父母に助けられ「残留孤児」となった。(1980年代以降、その存在が明らかになり、大きな社会問題に)
実際に生還した元開拓団の98歳の男性へのインタビューがあり、また体験者の話を聞き回って記録している年配の研究者が、当時何が起こったかを開拓民の視点から語ってくださった
・「開拓」とは名ばかりで、実際は元々住んでいた人たち(中国人、満州人など)を追い出して、土地や家を奪い、開拓団が移住したという事実(を開拓民は知らなかった)
・開拓団の村をソ連の国境近くに作ることで盾にしていた事実(を開拓民は知らなかった)
・開拓団は戦争に徴収されない、と言われていたが、戦局の悪化により、開拓団の働き手である男性は軍隊に徴収され、開拓団に残っていたのは、老人、女性、子供だけだったということ
・1945年8月ソ連が参戦すると、開拓団を守り、保護する立場にあった関東軍や政府関係者(その家族たち)は開拓団に情報を伝えることなく見捨てて、先に避難・帰国した事実(を開拓民は知らされなかった)
・急に現れたソ連軍に攻撃を受け、追われ、逃げ惑う避難の混乱のなかで、自分たちの命を守るため、日本人が日本人(老人や子供という弱者)を捨てたり、殺したり、親が我が子を手をかけることもあったこと(これは沖縄戦など、他の戦争でも、民間人が戦争に巻き込まれた時にも起こった悲劇)
・見捨てられた女性たち、幼い子どもたちの命を救ったのは、虐げられていた中国人や満州人の一部の方々であったということ(その後、色々なことが起こったのは周知の事実かと)
また満蒙開拓団に参加した女性で、終戦時は妊娠中、身重の身で、単身、日本まで逃げてきた女性の話を聞き、後から手記も読んだ
見捨てられた女性たち、子供たちに起きた、あまりにも恐ろしい、おぞましい現実の話を聞き、ありえないことが次々と起こる中でひたすら逃げ続けた女性が淡々と書き留めた達筆の手記を読み、数十年前に起きていた地獄のような出来事を改めて認識した
満州のことはなんとなく知っていたけれど、きちんと知ることも考えることもしていなかった自分に気がつき
日本は「被害者」であると同時に、他国の民の生活を奪い、自国民を害し、多くの人たちの命までをも奪った「加害者」であった事実を目の当たりにして
「日本人=加害者」という視点が抜けがちであったことに自責の念を抱くしかなかった
【満蒙開拓団、国家の奨励と棄民(切り捨て)】
・国策による推進(奨励) 1930年代以降、政府は「農村救済」と「満州の防衛」を掲げ、「五百万人移住計画」など大々的な国策として約27万人の日本人(主に農民)を満州(中国東北部)へ送り出した。
・軍による置き去り 1945年8月9日のソ連侵攻時、成人男性が軍へ徴集(根こそぎ動員)され女性や子供・高齢者ばかりだった開拓団に対し、現地を守るはずだった日本軍(関東軍)は、開拓民に一切の避難勧告や侵攻の事実を知らせないまま、自分たちだけ先に南へ逃亡(撤退)した。
・「現地停留」の方針と惨事 終戦後、日本政府(現地の大使館や陸軍関係者)から出された通達には「現地に留まって、ソ連軍や中国の治安維持協力に応じ、現地社会に順応・土着せよ」とあり、引き揚げを積極支援せず、事実上の「現地放置(棄民)」を行なった。
その後、極寒の冬を迎える中で餓死・病死・自決が相次ぎ、多くの子どもを中国人に託さざるを得ない状況になった(中国残留孤児の発生)。(Geminiより)
講演で衝撃的な事実を知った後、自分の子供と同世代、社会人1年目の女性たちと感想を共有する時間があった
ある女性は、自分にとって戦争は昔に起こった遠いもので、普段はなかなか考えることはなかったと話しており
別の女性は新卒で中高社会科の教員、多くのことを教えないといけないカリキュラムの中、戦争と平和について、どのように子供たちに伝えるか、難しく、日々もがいていると話していた
今の若者にとって、その親も戦争を知らない世代であり、学校でも戦争についてじっくり教えることが難しいため
若い世代が戦争が自分ごと、自分たちに関係があると感じるのが難しいのだと言う現実を知り
戦争と平和について、次の世代に継承していくことの大事さを感じた

私の世代は、戦争を体験していないが、親の世代や祖父母の世代は戦争を体験している
私の祖父は、一人は軍の上層部であり、一人は民間の工場の責任者で、当時その会社は軍需産業に携わっていた
父は中学生のときに空襲警報が鳴る中で路面電車の線路づたいに数時間かけて下校したとか、祖父の工場にお弁当を持っていくために自転車で1時間以上通ったとか、小学校のときに夜間の空襲があり、翌朝起きたら隣の家が爆弾でなくなっていた、という話を何度も聞いた
義母からは、生まれた日に父親が出征し、出征の電車に乗る直前に近所の人から娘が生まれたと聞いた、とか、義母の叔父は満州に行き、戦後帰国して親戚から冷遇された、という、戦争ドラマさながらの話を何度も聞いた
私は戦争は体験していないけれど、親や祖父祖母が戦争を体験したこと、また私自身が戦争に強く関心があって、本や映像を自発的に見たり、機会があれば旅行先で関連施設に行ったことで、戦争は比較的、身近なものだった
・戦争がなんでもない日常の延長線にありうること
・戦争は始まったら、当初の想定以上に長く続くことが多いこと
・決定するのは上層部だけど、戦争が始まると戦場に送られ、戦場の真っ只中に置き去りにされるのは普通の人たちだということ、それによって生活が、人生が、家族が壊れてしまうこと
・後から見ると「あのことが戦争への転換点だった」とわかるけれど、渦中ではわからないこと
・そして、今のこの状況、ある出来事が、将来の戦争への転換点になっている可能性があること
などなど、今回の企画を通して、改めて深く考える機会になった
そして、その講演会で私たちに与えられた課題が重かった
「あなたがその時その場にいたら、あなたはどう考え、どう行動したと思いますか?」
その時その場とは、
・戦争に国が向かおうとしている転換の時
・生活の場が戦場になった時
・目の前に敵が来た時 などなど
その時その場で、自分は何ができるだろう
ひょっとしたら、いま戦争に向かおうとしている転機になっていることに気が付かず、「正常性バイアス」が働き、目の前のことに躍起になっているだけかもしれない
生活の場が戦場になり、日本人同士が殺し合うことになったとしても、自分は何もできないか、加害者になるかもしれない
目の前に自分を殺そうとしている敵が現れたら、一体どうするのだろう….
人間は一人では何にもできないちっぽけな存在だ、と改めて感じた
(3)に続く











