どうもこんにちは。
徳島だよりの時間です。
と言いつつも、今回は徳島の話は一切出てきませんが。
日本中が令和元年をお祝いする5月1日、私は一人東京にいました。
平成から令和に変わる瞬間を夜行バスの中で浅い眠りにつきながら迎え、令和元年スタートの日の朝に東京駅に着きました。
目的地はそう、妻の実家です。
既に宮城県の実家に帰っている愛する妻と子に会いに、私は一人東京から列車に乗りました。
東北新幹線はやぶさ。
私が仕事の都合で宮城県に派遣されていた時、よく使った列車です。
この思い出深…くもないけど便利な列車に乗って、私は盛岡に向かいました。
え?宮城県通り過ぎてない?
そう思ったあなたは鋭い。
まあ大丈夫です。最後は目的地に着きますから。
ずっと昔から鉄道好きだった私。
大学生の時は日本中の様々な鉄道に乗って旅を楽しんでいました。
しかし、社会人になり、結婚してからというもの、なかなか一人旅をする機会などはありませんでした。
今回、久しぶりに訪れた一人旅の機会。
これは神様が私にくださったリフレッシュのチャンス☆
ということで、妻の実家に着くまでに東北の鉄道乗り継ぎの旅をするぞ~
(実家の最寄駅にあまり遅く着き過ぎないようにね)
というわけで、盛岡からはJR山田線に乗車。
山田線は、岩手県の県都盛岡から沿岸部の主要都市宮古を結ぶ路線。主要都市同士を結んでいるにも関わらず、列車の本数はとんでもなく少ない路線です。
全線を通して運行される列車は1日にわずか4往復。
そんな貴重な4本のうちの1本に乗車し、私は盛岡から宮古まで行きました。
宮古からは三陸鉄道に乗って、釜石まで行きました。
三陸鉄道は、この岩手県沿岸部を南北に走るローカル線。地元住民の足として親しまれてきましたが、東日本大震災で大きな被害を受けてしまいました。
しかし、鉄路を残したい鉄道会社や地元の人たちの熱い思いと、国内外からのたくさんの支援もあり、震災から見事に復興を成し遂げたのです。
ちなみに、今回乗車した宮古~釜石間は、震災前はJR山田線の一部でした。しかし、山田線のこの区間も壊滅的な被害を受けたので、この区間も三陸鉄道に移管して復旧することになったのです。
線路は内陸部に付け替えられ、新しい駅もいくつか開業し、地元住民にとってもより便利になったそうです。
レトロな雰囲気漂う特別車両に乗車して、いざ出発☆
列車の窓からは、沿岸部の景色がよく見えました。
津波に呑まれた後、未だ更地になっている場所や、新しい住宅ができて町ができつつある場所、津波の被害を防ぐ巨大な防波堤。
震災を機に、この町の風景はすっかり変わってしまったけれど、復興に向けて着実に前進はしているんだろうなと感じました。
実はこの沿線の山田町は、私が震災後に初めて訪れた被災地でもあります。
以前勤めていた会社の新人研修の一環で、がれき処理現場の見学と、沿岸部の清掃ボランティアをした記憶があります。
あの時は何もなかった町も、再び鉄道が通り、町が復興しており、私は少し感動しました。
列車の窓から見ると、沿線の住民の人たちが私たちに向けてたくさん手を振ってくれていました。
本当にこの鉄道は地元の人たちに愛されてるんだなと感じました☆
末永くこの路線も地元の人たちに大切にされて残っていくといいですね。
そして釜石からはJR釜石線に乗車し、新花巻まで行きました。
沿線の花巻市は宮沢賢治の故郷らしく、この路線の愛称も「銀河ドリームライン釜石線」。駅看板は、有名な「銀河鉄道の夜」をモチーフにしたお洒落なものになってました。
そして新花巻駅に到着し、そこから妻の実家に近いくりこま高原駅まで新幹線に乗りました。
長きに渡った旅も終わり。
駅の改札口に妻と息子が迎えに来てくれていました(^ ^)
久しぶりにまーくんの顔を見られて、もう私は嬉しくてたまりませんでした☆
たまには一人旅もいいもんですね。
ちなみに、私が座った座席の隣は誰も座ってこなかったため、常に隣の席が空いてる状態でした。
この席は神様の席だなと思って、神様と共にする鉄道の旅を楽しんできました。