新幹線レベル以上の出張には、ぱーさんはたいていお土産を買ってきます。
どんなに時間がなくても買ってきます。
買ってくるなと言っても買ってきます。
もう要らないと言っても買ってくるから、趣味か習慣か強迫観念のどれかだと思います。
ちょいちょい出張に行くのでちょいちょい買ってきます。
このところは「はい。お土産」と言って手渡すことは全くなく
自分の部屋の小さな座卓にただ紙袋が置かれています。
ぱーさん自身はめったに開封しません。
以前は「お土産はパパに断ってから開ける」
という決まりがあったのですが、最近はまーさんがOKすれば開けても良い事になってます。
子供達には数を数えて一人○個ねと家族で割りますがルールを守れずに時々、
「誰かが多く食べた!」
とケンカになったりします。
「俺は1個も食っていない」
と、ぱーさんがボソッと言います。
ケンカは「うなぎパイ」と「八ツ橋」に多い現象です。
無言で置かれているお土産に関心が薄くなってしまう事もしばしばあるので、
気がつくといつのまにか紙袋が増えていたりします。
昨日は石川県にいったのでしょうか?
このごろはぱーさんは夜遅く帰ってきて朝早く家を出てしまうので、紙袋に入ったお土産だけがなにかを語っています。
追伸
当たり前の様になっているけど当たり前のこと事じゃないよ!
追伸2
金沢経由でどこか奥地に行ったそうです。
そして、お土産は自分が食べたいから買うそうです。
今週のみ言葉の一部を紹介します
”ヨハネによる福音書3章16節、「神様が愛してひとり子を遣わした」、どれほど素晴らしいことなのか。「自分の愛する人を罪から導き出して、贖って、救いを得させるためだ。滅ぼされることがないようにするために送った。」その愛に感謝し、その人と共に神様に栄光を帰して生きるように私たちを呼んでくださり、選んでくださいました。その使命を果たせるように私たちに下さった愛を、祝福を、価値あるものとして使い、生きていくようにしてください。全地球にいる人たち、全ての人たちに神様の愛が続くことを切に願い、願い、願い求めます。アーメン。” 鄭明析牧師 2018年9月9日主日説教「神様の愛の歴史」の祈りより]]>
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