子供の将来を考える時、自然と『平和』について
考えることが多くなります。
真の平和とは、何なのか?
世界のあちこちで、今も危険と恐怖にさらされている人たちがいるという事実。
神様を信じるものとして、毎日祈らずにはいられません。
戦争を体験したことのある人は、今となってはとても少ないですが
ひろこママが通うキリスト教福音宣教会の牧師さんは、戦争を体験しています。
リアルな体験からは、様々なことを考えさせられます。
ひたすら神様を中心にするチョンミョンソク牧師の真実な生き様は、
ベトナム戦争体験記の様々なエピソードから伺うことができます。
今回は、その一部を紹介します。
チョンミョンソク牧師は1966年~1969年の3年間で、2度ベトナム戦争に参戦しました。
(韓国人の男性は19歳~29歳の間に約2年間の兵役につく義務があります。)
【無線機の事件】
チョンミョンソク牧師はベトナムで数ヶ月の間、無線兵を勤めました。
無線機を背負って行きます。
あちこちで砲弾が落とされたり、飛行機が落ちたり大変な状況が起こりましたが、
他の無線機は駄目になっても、チョンミョンソク牧師が背負っている無線機にだけは
連絡が入って来ました。
軍の上部から
「そこはどこだ。見たとおりに報告しなさい。
飛行機は落ちたのか。翼は折れたのか。銃は奪われたのか。
車はどうなったのか」
という無線が飛んできました。
チョンミョンソク牧師は
「どういう奴だ。どういう奴が、礼儀無しに語ってくるのか!!」
と知らんぷりをしながら語り続けました。
「とんでもない!人が怪我をしているかどうかは確かめずに、
飛行機の翼が落ちたかを聞いてくるなんて・・・。
パイロットが怪我をしているかどうかは聞きもせずに。
あなたは韓国人ではないか。
韓国人がいかに貧しい国で住んでいるとしても、
貧しければなおさら命の尊厳性を大事にしなければいけないんじゃないか。
あなたは<全世界をもうけても変えることができないものが命だ>という聖書の言葉を
読んだことがないのか。そこらにありふれた教会にも通ったことがないのか。
クリスマスの時におもちを食べにくだけでもそういう話を聞けるのに、
とんでもない。飛行機が堕ちたかを先に聞くなんて。飛行機が堕ちたなら、
どれほど多くの人が死んだのか」
と叫びだしていました。
チョンミョンソク牧師自身、その時のことを、
<その時の声は、自分のものでない感じだった。
イエス様が普段持っていた心を語ったようだった。
その時語った言葉は、私が普段持っていて募っていた考えを叫んだものであった。
いつもそういう話ばかりだった。銃を幾つ奪われたかで騒ぎになったりしていた。
人さえ死ななかったら、いいんじゃないか。そのぐらいの銃はいくらでも作ればいいのではないか。
こういうことが戦場で軍人が不平不満をもらす要因の一つだと私は知っていたために、
怒りながら無線機に怒鳴って、それから切ってしまった。>
と表現しています。
その出来事の後、軍の上部では「どんな気の狂った奴がそんな無線を送ってきたのか」と会議で話が持ち上がりました。
その無線を受け取った人は、キム・ヒョンジェ大令本人で、大令はとてもプライドの高い人だったのです。
大令についても、チョンミョンソク牧師がこのように表現しています。
戦場で、明日生きるか死ぬか分からない時だからこそ良心を正しく持って生きなければならないのに、
指揮官ならばもっと中の方まで入って指揮しながら歩きまわるべきだったのに、
バンカーの上に腰掛けてこうしなさい、ああしなさい、と支持するばかりだったのだ。
タンクの中に入ってみて直接見たりしながら、指揮すべきではないか。
私はああいう態度が嫌いだ。あちこち回って見てみなければならないのだ。
その出来事があってから15日くらい後、キム・ヒョンジェ大令自ら作戦に直接参加したという話がチョンミョンソク牧師の耳に入って来ました。
チョンミョンソク牧師は、その連絡を受けて本当に喜びました。
「その時どれほど嬉しかったことかわからない」と表現しています。
その後からは、指揮官がどんどん入っていき、作戦に失敗することということが余りなくなったのでした。
命を愛する牧師さんの心。これは牧師さんの心でもありますが、神様の心です。
ひろこママも、本当にこのような心で一人一人を大切にして
生きていきたいです。
真実な、神様の心。神様の愛が全世界に満ち溢れることをお祈りします。