子育て奮闘中のまりもです。
そして続風邪っぴきです(TT)
ここまでなんとか不調のまま耐えてきましたが
先日ついに発熱。
そういう時に限ってまーちゃんも大暴れ(T▽T)
喉がガラガラで子守唄も歌えず
咳き込んで抱っこもしてられず
頼みのおっぱいも底をつき
眠れず怒り狂って大暴れ
もう、どうしたら・・と暗い部屋で呆然としながら聖霊様を呼んでいると
まーちゃんの強烈アタックでまりもひっくり返る
うう、まーちゃんの手で気道まで抑えられてまりも本当にピンチ(TT)
そこに現れる旦那さん
何やってんのって見りゃわかるでしょー(;;)
「遊んでいるの?」
違う違う(;;)助けてー
旦那さんに代わってもらいようやく横になると
具合の悪さが一気に出て意識が・・
次に起きた時にはまーちゃんはちゃんとお布団におりました
旦那さんが寝かしつけてくれたようで
本当に助かった・・・(;;)
朝になり、少し体調が回復したところで
まーちゃんがまだ寝ている間に洗濯やらゴミ出しやらをせっせとしながら
私、結構頑張ってる(;;)
と自分を褒めてみるも
ふと考えて見れば
まーちゃんにとって
いつもおっぱいがもらえるのも
おしめを替えてもらえるのも
お洋服を替えてもらえるのも
替えてもらうお洋服があるのも
お部屋が綺麗なのも
当然なんだな
ママの状況がどうとか、まーちゃんにはないもんね
してもらえるのが当然
でも、ここで考えてみた
まーちゃんにとって当然なことは
実は当然ではない
当然であるようにしているだけ
そのように、私が今日も生きていること
普通に住む場所があって、ご飯があって、着る物があって
空気があって、地球が今日も存在していること
これは当然なことなんだろうか
当然ではないのではないか
そうやって考えてみると
当然のように享受していることが
あまりにも多いことに気づく
そして、それが実は当たり前じゃないんだと気づいたら
感謝が溢れてくる
こうして息をすることひとつも
倦怠は怖い
価値を見失ってしまう
いつも与えられることが当たり前になってしまうと
それが当たり前に与えられるように維持している努力を忘れてしまう
商品は安定的に供給されることが当然だが
その当然を維持するために
相当の努力がなされていることを
私たちは忘れている
当然という状況が
実は当然のことではないということに気づき
当然のようにしてくださっていることに感謝して
なぜそのようにしてくれるのかを考えてみる
まーちゃんに対して、私はどうして
大変でもその当然を当然として維持するのだろう
大事だから
愛しているから
その思いに気づくと
当たり前という見慣れてしまってくすんだ景色が
急に色づいて見えてくる
当たり前のことが
当たり前ではないこと
今日も小さな発見が
たくさんの愛を教えてくれる。