具だくさん味噌汁をつくりました。
今日は、娘みいとごうパパはおでかけ(お泊り)なので自分用。
具をたくさん入れて
ナス・人参・玉ねぎ・おくら
の味噌汁完成!
美味しくいただきました。
本日のジョギングは少し暑い時間帯に行ってきました。
もう少し涼しい時に行かないとだなと後になって思いました。
10日目ですが、足に負担が少々かかっているのかもしれません。
適度な運動を心がけて無理せず、少しずつ続けていこうと思います。
今日も色々な花に出会いました。(ジョギングの途中でスマホ撮りしていますが、もう少しキレイに撮りたいと思う今日このごろ・・・)
最近は、ジョギングだけではなく賛美歌もたくさん歌っています。
「主をほめたたえよ。もろもろの天から主をほめたたえよ。もろもろの高き所で主をほめたたえよ。その天使よ、みな主をほめたたえよ。その万軍よ、みな主をほめたたえよ。日よ、月よ、主をほめたたえよ。輝く星よ、みな主をほめたたえよ。いと高き天よ、天の上にある水よ、主をほめたたえよ。これらのものに主のみ名をほめたたえさせよ、これらは主が命じられると造られたからである。」
詩篇148篇1節から5節(旧約聖書)
(中略)
この詩編の著者はダビデです。ダビデは子供の時から神様をほめたたえました。ダビデはイスラエルの人ですね。 ダビデは牧畜をする家に生まれて、生活全体が羊を飼って、神様をほめたたえることでした。琴を弾いて、その他の楽器を持って神様をほめたたえることもしました。生音楽で神様に讃美をした、讃美を一番たくさん扱った人です。創世記からヨハネの黙示録までを読んでみると、「神様に讃美をし、歌いなさい」ということをたくさん書きました。それだけ本人がやったということです。 結局、ダビデは羊飼いで終わるのではなく、神様に呼ばれてイスラエル民族の統一王国時代の二番目の王になりました。彼がやったことを見たら、自分だけではなく、民全体を総動員して神様に讃美をするようにしました。ただ命じたのではなくて、神様をほめたたえるべきことについて話をし、彼らに恵みを与えました。それで民全体が神様をほめたたえるようになりました。全民族が同時に讃美をするようになりました。自分の位置で。 琴を、雄琴、楽器を総動員して手を叩いて讃美をしなさいと言いました。
鄭明析牧師の御言葉より
讃美歌というものを摂理に出会うまでは歌ったことがありませんでした。
最初は歌い慣れませんでしたが・・・
歌ってみると、心配な心、不安な心が無くなるのを感じました。
嬉しい気持ちになりました。
本当に不思議です。
人に聴かせるための歌ではなく、ただ神様に栄光を帰する歌。
歌がうまいとか、下手だとかが問題ではなく、その心、まごころを1番に受け取ってくださる神様。
◆神様を讃美しなさい。ああ、年取ったから讃美できないということですか? でも、うちの父親は87歳に亡くなったんですけども、80過ぎのときでも鼻歌で讃美したり、すごく歌ったりしたんです。神様に讃美するということは、特別に歌手だからといってその栄光を神様はお受けになるわけじゃないんです。年取った人は歌わないように、という話はどこにあるでしょうか。年取ったら年取ったなりに、若かったら若いなりに神様を讃美し、神様に栄光を帰していくことです。
◆みなさんも一度歌って讃美をし、一所懸命やってみて下さい。 讃美をしなさい。神様をほめたたえなさい。歌いなさい。神様に栄光を帰しなさい。 よく人々は王を喜ばせて歌います。聴衆を喜ばせて歌います。聴衆を喜ばせて歌って拍手を受けるし、「うわー」、起立拍手をもらってアンコールまで受けて、全身が震えるほど、力尽きるほど歌って帰ります。しかし、帰った後それほど嬉しいですか。後遺症でつらく寂しいんです。歌手、舞台に立つ人たちは聴衆がいなくなったらただただ孤独で寂しいんです。聴衆の中に生きる人は。私は聴衆の中で生きても、孤独だったり寂しかったりはしません。それは神様を讃美するから。いつも神様は私と一緒にいらっしゃるからです。神様をほめたたえ、神様を歌い、神様のために生きているから、人々が散っても孤独ではありません。 みなさんも神様を讃美し栄光を帰する、そういう思想が満ちることを祝福します。
◆神様は歌を通しても人の心に感動を与え、御言葉でも感動を与えます。歌って讃美をし、ほめたたえなさい。寂しい時、孤独を感じる時、心配なことがある時、讃美しなさい、神様を。なぜかと言うと、神様に讃美をしたら神様が不満なく神様に栄光を帰するからやって下さるんです。不平不満を漏らさないで讃美をしなさい。喜ばせなさい。感謝しなさい。
鄭明析牧師の御言葉より
もっと生活の中で一つ一つ神様に感謝し讃美してみようと思います。