こんにちは~
さっきふと考えてました
結局社会の組織でも
中心に近いほど、職務があがるほど
見るべき視野が広がるし
責任も重くなるし
それ以外の仕事が増えて
現場から離れがちだな
と
鄭明析先生は
本当に仕事が多くていらっしゃるけど
根本的に
命を愛するそのことは
今も変わらず
そのままスケールだけ大きくなっているというのは
本当に驚くべきことだと
感じました
私は鄭明析先生に直接お会いしたことはないです。
むしろ、様々に誤解を受けていらしゃることが
日本でもよく知られるようになってから
摂理に来たヒトです。
なんできたのか
一言でいえば
この御言葉が真理だから
この御言葉があるから
それだけです
私は自分が科学者としての
自負を持ってきました
例え、大きな業績がなくても
そう言う精神を持って
そこには少なからずプライドを持って
生きてきたということです
だから
自分が確かめて検証したことを
信じます
科学史も
試行錯誤の連続です
以前書いたかもしれませんが
みなさんが教科書で当然にように習ってることが
或る日間違ってましたと
ひっくり返ることが十分、今もあること
学校で習ったこととは異なる学説、議論が今もなされていること
そういう
ある意味「正常であること」を案外知らないで生きてます
何で正常かと申し上げれば
誰も真実を確かめて真実に担保できるヒトはいないからです
いたら教えて下さい
その人の話を聞いてみましょう
だから
私は自分が聞いて、試して、検証して、実感したこと
見た現実を信じました
そうして摂理に来ました
違ったらまた捜せばいいやと
最初思わなくはなかったですよ
まさしく、お試し期間です
本当に、本当か
私はそう言う目でしばらく摂理にいました
そして
今は確信を持っています
それでも鄭明析先生のことはしばらく分からなかったです
会ったことないから
やっぱり頭だけで理解するのは限界でした。
「わたしたちをみて判断してほしい」
メンバーの言ったその一言で、私は疑いをおいて摂理に来ました
最初の一歩でした
今思うとすごい言葉です
いまも自分が足りないこと
よくわかっています
だから御言葉が必要なんです
より良い自分になるために
もちろんみんな完璧ではないから
躓くことも時にはありました
でも
やっぱり、摂理を離れられないと思います
私がもうだめだと思うときは
だいたい、私自身の罪に自分が耐えられなくなって
ヒトのせいにしたりしてるときです
自分が、耐えられないんです
お互いに足りないとしても
やっぱり最後は自分の責任だなと思います
この真理を失ったら生きてる意味がないと思うから
いつも踏みとどまって
ここまできました
今日思い出したことがあります
まだ摂理に来たばかりのことでした
その時、丁度私は辛い状況があって
いつもトイレで隠れて泣いてお祈りしていました
聖書を読んで
ああ、自分はダビデの立場だ
憎まず祈ろう、いつも祈ろう
そう思っていたときでした
そのとき
鄭明析先生の話をしてくれた人がいました
”
先生は、自分の苦しみを通して
同じ苦しみを受けているヒトのことを思い
祈るんだよ
だから
ご自身が一番苦しみの人生を生きながら
全てのヒトの生きる苦しみを悟られたから
このように福音を伝えて下さってるんだよ
あなたも先生のように
自分の苦しみで終わらずに
そこから悟りなさい。
”
わたしはいまもそのたった一回聞いた
その話を忘れられないんです
先生について
私は会ったことはないですが
沢山の話を聞き
それが現実であることを
実践を持って体験してきました
いまも
もっと鄭明析先生のことを知りたいと
そう思っています。
先生を通して受けた天の愛
また書けたらいいなと思います
今日はここまで