私が学生のとき、当時の指導教官に勧められ
とても大切にしている本がある。
「科学者になる人のために」Alan E.Nourse
1967年出版なので、はっきり言って内容は古い。
しかし、その精神は根本をついている。
私はずっと科学者になりたかった。
その私に指導教官はこの本を薦めて下さりおしゃった
「生活の中でサイエンスを」
今もこの言葉は私のなかで大きい。
この本の核心は
職業的に科学に関わるヒトが科学者なのではなく
生活の中で
科学的な視点、思考を持って生きるヒトが
科学者なのだと
私はそう記憶している
教授が大切にされていた本だったので
そのあと院生になってから古本屋を捜し歩いた
今はその本はないが
大切な精神が私の中に生きていると思う
それを持っていることよりも
それを行なうことの大事さを
摂理で私は学んだ
私が仕事に就く時
博士課程で共に走っていた姉妹が言った
「あなたはどこにいっても、何をしても科学者だと思う」
当初自分が望んだ形ではなかった進路だったが
御心を確信して進み行くことができたから
私には迷いはなかった
それでも、周りではなかなか分かってくれないヒトもいて
苦しい思いもした
だからそれがそのとき私にとって最高の褒め言葉だった
結局、今も自分の考えていた道とは違った形で
私は科学の先端の現場で仕事をさせてもらっている。
だれがこうなることを予想しただろうか
神様の御心の中で生きるということは
このように自分の考えの枠を超えて
全ての夢も希望もなされることを
私は日々確信する。
もちろん、もがきや
努力も必要だ
よく、信仰者は盲信的に神様に頼ると
考えられがちだが
むしろ
知らなかったときより
目指す所が高くなった分
今のほうが努力すべきことは多い
しかし
そのやりがいは計り知れない。
私は摂理に出逢うまで
地位や名誉
それがなくても
学問で何かしらをなしたいと
願っていたが
そのどこかで
人間としていかに自分を磨こうが
偉業を成し遂げようが
死んだら終わりの人生
後世に残すと言っても
人間の文化は人間にしか認識できないのに
いつか朽ちるこの肉体の生の連続で
積み上げることは何の益があるのか
結局いつも果てしない終わりにぶつかり
必ず先には先があると言う終わりのなさにぶつかり
この相反する限界に
自分が何を真になすために生きるべきかが分からなかった
いまはそれを知った
そのために生きる
小さな私だが
このように摂理で生きているそのままの私の姿を伝えることで
この素晴らしい福音に出逢うべきヒトの誤解を解く
何かしらの助けになればいいなと思う。
そう言う思いでこのブログを書いていきたいと思う。
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