宮沢賢治の有名な詩、「雨にも負けず」
その詩にモデルがいたことをご存知ですか?
そして、そのモデルは
クリスチャンだったことをご存知ですか?
斎藤宗次郎という花巻に住むクリスチャンで、
無教会派の内村鑑三の愛弟子で、
内村鑑三の晩年、昼夜看病をしたそうです
斎藤宗次郎は宮沢賢治と同じ花巻に住み、
クリスチャンであることから
周りの人々から迫害され、後ろ指を指されても、
愛する家族の相次ぐ死にも態度を変えず、
信仰を曲げず、キリストの精神で生き抜いたそうです
最初はクリスチャンゆえに
町の人からバカにされていましたが、
晩年は人々から尊敬され、その死を惜しまれたそうです
彼の凜とした、いさぎよい生き方が
宮沢賢治の詩にも現れていると言われています
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは
なりたい
私が好きな箇所は、ここです
「慾はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている」
そして、
「あらゆることを、自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり、そして忘れず」
なんで好きかって?
まだできてない、と思うからです(苦笑)
人の欲にはきりがありません。
先生が御言葉で教えてくださいました
人間は、<自分が願うこと>を満たそうと、ありとあらゆる努力をし労苦をして生きていきますが、いざそれを満たしても、そこに満足できません。(中略)
<食べ物>、たとえばおやつとしてパンを「一個ずつ」あげたら、「二個食べられたらいいな。満足するだろうな」と言います。 それで「二つ」あげると、それで満足しないで「三個食べたらお腹がいっぱいで、いいだろうな」と言います。
<お金>も稼げば稼ぐほど「満足」がありません。 最初は「これくらい稼いだらそれ以上の願いはないだろうな。満足するだろうな」と言います。それぐらい稼ぐようになったら、また「もっと稼がなければ満足しない」と言います。
(2018年2月7日、摂理の水曜礼拝の御言葉より)
神様が望む生は、
人が自分の欲を満たして、
自分のことばかり考えて生きる生ではありません
では、人が自分の欲におわれず、
自分中心の考えに追われないようにするにはどうすればいいか、
摂理の御言葉で教えてくださいました
人間は「限界」を決めて生きなければなりません。
<限界>までやったら「満足だ」と決めて生きなければなりません。
つまり、自分が「ルール」を決めて生きなければなりません。
そのルールに従って生きて、そこに満足してこそ、喜びが満ち溢れるようになります。
(2018年2月7日、摂理の水曜礼拝の御言葉より)
摂理の御言葉は実践してこそ、その力を実感します
ルールを決めなければ、朝5時に起きても、6、7、8時に起きても、
まだ寝たいというでしょう。
でも、5時に起きるというルールを決めれば、
5時に起きてこそ、満足で喜びます
人生を生きる秘宝を教えてくれる摂理の御言葉、
その御言葉を聞いて、実践することが
人生を成功する道です
なぜなら、その御言葉は
人間を創造した神様が教えてくださるから、
創った方はどうすればうまくいくか、一番よくわかるでしょう
ちょうど、電化製品を作った人に聞けば
一番良い使い方をわかるようなものです(^^)
あっこ