私が見たキリスト教福音宣教会

宗教嫌いの私が摂理にいる理由 ~御言葉


日本人って宗教アレルギーの人
多いですが、

私も、摂理に来る前、
宗教を毛嫌いしていました

心が弱い人がすがるもの
神様なんているのかな
祈るなんてアホくさい

宗教を持っている人を
ばい菌か何かのように
嫌悪感をもっていました

今思えば
宗教嫌いこそ
日本人特有の
一種の洗脳じゃないかと
思います

もちろん
いろいろな宗教団体が
社会的な問題を起こして、悪いイメージを
植え付けてしまったことも
大きいとは思いますが。


摂理に出会う数年前、
祖父が神道系の宗教に
入会しようとした時、

私が家族の中で
一番強力に反対しました

早稲田大学は
宗教勧誘が激しかったので、
ますます宗教嫌いはひどくなり、

道端で
それっぽい人に
声をかけられても
一言でも言葉を交わすことは
絶対に!しませんでした

だから、大学3年の秋、
高校の仲良しだった友人から
摂理の教会に誘われたときに
「げ、宗教にはまったか」

最初は
さっさと縁を切ろうと思い、
どうやって逃げようか、
考えていました(苦笑)

そんなふうに極端に
宗教嫌いだった私が

今はどうして
摂理の御言葉を聞いて
神様を信じているんでしょうか?


いくつか理由はありますが、
大きな理由の1つは
摂理の御言葉です

御言葉とは、
神様の言葉、
聖書の話

摂理では、
鄭明析(チョンミョンソク)先生を通して
神様がおっしゃる言葉です

摂理の御言葉を
聞いてみようと思ったのは、

自分が信じたいとか、
神様を求めていたとか

そういうことでは
全くありませんでした(苦笑)

心の底で求めていたけれど、気がついていなかった

その頃、表面上、肉的に、
なにも苦労していなかった私

家にも不満はなかったし、
行きたかった大学に行き、
やりたいことができる
自由な大学生時代、

いくつかのサークルに所属して、
割が良いアルバイトをして
行きたかった旅行をしたい放題、

自分のことは大嫌いだったけど、
自分に自信がなかったけど、
もう諦めていた

ただ
ヨーロッパの絵画が好きで
海外旅行で欧米に行く度に
現地の美術館に通いつめていた日々

文化としてのキリスト教に
関心があったので、

聖書を学べば
あの絵画の意味がもっとわかるかな、
その程度の好奇心だったと思います

なんで摂理かといえば、
たまたまバイブルスタディを
聞こう、という話になったから

摂理の人たちが
変に宗教くさくないし
変に勧誘してくることもなかったから、

自分のことを理解してくれる人もいて

普通な感覚だけど、
純粋でいい人が
たくさんいたから、

様子がおかしくなってきたら
逃げればいいかと思って
学び始めた聖書の話(笑)

とにかく宗教嫌いだったので、

少しでも
勧誘しようという気配を感じたら
さっさと逃げるつもりで、

マインドコンロールにかなり警戒しつつ、
深入りしないように心がけつつ、
いくつか聖書の話を聞きました


知識のために聞き始めた
聖書の話、

荒唐無稽なウソ話かと思いきや、
論理的かつ科学的な話で

左脳的に考えても
納得する話ばかり

聖書に対する印象が変わりました

そして、徐々に
自分にとって
優先順位があがっていきました

人から言われて、とか
脅されて、とかでもなく
マインドコンロールを受けてではなく、

自分の中で
聖書の話がおもしろくなり
御言葉が、
神様が、
大切なものになってきました

しばらくして気が付いたのは
これは今まで
私が体験してきたものとは違う、
ということでした


それまでは、
欲しくて手に入れたもの達は、
頑張って手に入れた途端、
その光を失っていきました

まるで
幸せの青い鳥をつかまえたはずが
手のひらを開けてみたら
ただの茶色い鳥だったみたいな

手に入ると光を失っていきました

例えば、
浪人して必死で勉強して
早稲田大学に入学したけれど

しばらくは
嬉しさや
劣等感の裏返しの自尊心やら
感じていたけれど

1年も経てばもう当たり前、
周りの反応も当たり前

受験していた時に憧れた輝きは
全く感じられず
当たり前で
つまらない日常になりました

また、
数ヶ月バイトしたお金をつぎ込んで、
綿密に計画して海外旅行をしても
過ぎてしまえばそれで終わり

あちこちに旅行しながらも
見たことがない景色を見て、
嗅いだことのない匂いを嗅ぎ、
会ったことがない人たちにあっても、

過ぎてしまえば
ただの色あせた思い出になることに
虚しさを感じていました
 でも、
摂理の御言葉は
色あせることがなく、
当たり前で
つまらない日常になることもなく、

ますます私の中で
輝きを増し、
大事な宝物になっていきました

今思えば
御言葉が好きという感動を
幼くてなにもわからない私が
感じることができたのは

神様が与えてくださった
プレゼントだったと思います

その輝き、
その価値性の高さは
20年以上たった今も
光り続けています

私にとって大事な宝物、
御言葉、
神様、

そして、
その御言葉を教えてくださり、
神様を教えてくださった
摂理の鄭明析(チョンミョンソク)先生、

大事な宝物を
学生時代に見つけることができて、

20年以上経った今も
持ち続けていられる私は、
本当に幸せだと思います

肉体が滅びる時まで
摂理の御言葉、
神様の御言葉を
聞き続けたいです

そして、まだ
摂理の御言葉を聞いていない人たち

摂理に対する偏見も
宗教に対する先入観も横に置いて、

心を空にして

ただ純粋に
摂理の御言葉を聞いて欲しいです!

 


ABOUT ME
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あっこママ
早稲田大学 政治経済学部卒、東京都心に在住。 【 高校生のチタちゃん(女子)と小学校高学年のトラ君(男子)、ぱんだパパの4人家族】 大学生のときに摂理に出会う。 15年以上、海外出張もこなし夜中まで働くキャリアウーマンだったが、今は在宅ワーカーとして自分を作り中。 趣味は食べること、ウォーキング、旅行、動物園・水族館に行くこと、悩みは偏食&少食の子供たち、彼らが食べる簡単おいしいご飯を探求中!