イザヤ書43章20節に、このような聖句があります。
わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ。
鄭明析先生が先日、ちょうどこの部分について御言葉を伝えてくださったのですが、これを聞いて悟ることがありました。
私は現在の仕事で、農業土木という分野に携わっています。
あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、簡単に言うと、農業をするための基盤を整備する仕事です。
農業に必要な水を確保する施設や用排水路を整備したり、効率的な営農のために農地を大区画化したり、農道を整備したり、etc…
まあとにかく、農業をする環境を整える分野ですね。
この農業土木という仕事が、まさに「砂漠に川を流れさせる」ような仕事です。
パキスタンやアフガニスタンで医療活動に取り組んでいる中村哲さんというお医者さんがいるんですが、この人は現地の人たちが悩んでいる病気や帰還難民問題を解決する方法として、何と用水路を建設したのです。
何でお医者さんが用水路?と思うかもしれませんが、現地の人たちの状況を詳しく見た時に、「ここには100の診療所よりも1本の用水路が必要だ。」と感じたわけです。
病気が起こるのも、現地の衛生状態が悪いからであり、人々がこの地で暮らしづらいのも、農業をやるための水を得る手段がなかったからだと悟ったわけです。
(ちなみに、中村哲さんはプロテスタント系のクリスチャンです。)
鄭明析先生も御言葉で「大きく見て、大きく考えなさい。」とおっしゃいましたが、まさにこの御言葉通り、大きく見て大きく考えてこそ必要なものが分かるということです。
用水路で水を得て多くの人たちが生きられるようになったように、私たちも砂漠を流れる水のような命の御言葉を聞いて生きられることに感謝ですね。