最近は、自転車や一輪車をスイスイ乗り回す娘みい。
大人の皆様の中でも、幼い頃一生懸命自転車の練習をした記憶がある方が多いのではないでしょうか。
娘みいも、
自転車や一輪車を乗れるようになるまで、一生懸命練習をしていた記憶があります。(幼稚園の年長の時)
自転車は乗れる人が多いと思いますが、
一輪車はそれに比べて自由に乗れる方は少ないですかね?
娘みいが一輪車に出会ったのは幼稚園の年長の終わり。
幼稚園に今まで無かった一輪車がやってきて、最初は全員取り合いになるほど練習をしていました。
お友達も娘みいも一輪車に夢中になりました。
その頃、幼稚園では一輪車に乗れる園児が一人もいませんでした。
教えられる先生も一人もいませんでした。
最初は全員挑戦していた一輪車も、
日に日に練習する人が減り
最終的には女子数人が練習を続けました。
娘みいは、一度やりたいと決めたらかなりの確率で最後まで(できるまで)やります。
『一輪車にスイスイ乗れるようになりたい!』
ただその思い一つで毎日練習していました。(もうやめたら?と親が言いたくなるほど・・・)
その一生懸命な姿は、幼稚園児と言えども周りに感動を与えました。
ある時は、幼稚園の後、1時間ずっと一輪車の練習をしたこともありました。
ひろこママも全く乗れないので教えることはできません。
ただただ、見守るだけ。
あまりにも思うように出来なくて
涙をポロポロ流しながらの練習。
顔から倒れて大泣き。
ひろこママ『もう帰ろうか?』と聞いても
娘みい『やだ!まだやる〜!!』と。
また、気を取り直して練習開始。
他のお友達が、
鬼ごっこや、サッカー、様々な遊びをしていても一人で一輪車練習を継続。
いったい何回倒れたことか。
娘は、『絶対に、一輪車に乗れるようになりたい』と言って毎日練習を続けました。
そして、ある日娘みいは
幼稚園で始めて一輪車に乗れるようになりました。
乗れるようになった娘みいの姿を見て園長先生も担任の先生も拍手。
すっかり練習から離れていたお友達も練習を再開。
一輪車にスイスイ乗っている娘みいの姿を見て『自分も乗れるようになりたい。』
『練習したら私も乗れるようになるかも知れない。』と挑戦するお友達が出てきました。
確かに生まれた時から
サッカーが上手な赤ちゃんはいないし、スタートはみんな一緒。
何かが上手にできるという事は
見えないところで必ず練習、努力、涙など何かやったという結果なんですね。
◆やればできるし、やらなければできないということが<法>だ。
◆やればできるから、自分が行なう分、喜びが来るし、やり甲斐が来る。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
娘みいの姿を通して
『やればできるし、やらなければできない』
という事を確認できました。
大人になって、何かを出来るようになるまで人目も気にせず一生懸命やるという機会が少なくなりました。
年齢に関係なく
自分の可能性を諦める事なく挑戦していこうと思います。