【恐妻家】(きょうさいか)
妻に頭の上がらない夫。妻を恐れる夫 (出典:デジタル大辞泉)

世間には「私は恐妻家で妻には頭は上がりません」なんて言葉がありますが、平日は出張と残業ばかりで家を空けっ放し、家事と子育ては妻に完全丸投げ状態の私も、妻には頭があがりません。

では「貴方は恐妻家なのか?」と問われるなら、「オイオイ・・、摂理史で結婚の祝福を受けて【恐】だなんて・・」なんて、自ら突っ込むのですが、結婚生活を振り返り、けっこう【恐】に陥っていた、自分の次元の低さを悔い改めました。(泣)

【恐れ】(おそれ)
こわいという気持ち。恐怖。(出典:デジタル大辞泉)

聖書には「恐れ」という言葉が数多くでてきます。

詩篇:111篇-10節
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主を恐れることは知恵のはじめである。これを行う者はみな良き悟りを得る。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

箴言:1章-7節
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

聖句を盾に「主を恐れることが知恵と知識のはじめなら、妻を恐れることも家庭生活の知恵と知識では?」などと、勝手な解釈で自分の小心さを合理化し、旧約聖書の次元に留まっていたのですネ。。(ユダヤ人みたいなものでしょうか?)

ところが、次の御言葉を聞いて、『「恐れ」るんじゃなくて、まず「畏れ」るべきでしょ!』と悟りがありました。

鄭明析先生の御言葉より抜粋
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
神様を神様だとばかり思ってはいけないんです。神様を、愛する、自分が一番愛する人だと思って、直接その人と一緒に暮らしていると思って生きなければなりません。それが、畏れる心です。敬うことです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【畏れ】(おそれ)
敬い、かしこまる気持ち。(出典:デジタル大辞泉)

実際に肉体で一緒に暮らしている妻をも「恐れ」るようでは、神様も「恐れ」る次元に留まってしまい、家庭の次元まで旧約聖書の次元に留まってしまうのではないか???と・・・

「恐れる」のではなく「畏れる」心で、与えて下さった祝福に感謝し、家族とその人で一緒に暮らしていける家庭を目指していきたい!と悟る御言葉でした。

(この投稿を妻に見られた時の反応を、既にやや「恐れ」る自分がいますが・・)

 

 

いつも応援いただきありがとうございます。 この記事が気に入ったら、いいねボタンを押してね!
The following two tabs change content below.

うっちー

社会人デビュー後、仕事漬けの平日と合コンだけの週末に虚しさを感じた時、摂理に出会い、摂理序盤人生のイヤイヤ期を経て、導かれるまま気が付けば結婚。子供のイヤイヤ期を経て、自らのイヤイヤ期を悔い改めました。プレイングマネジャー職で日本全国を出張する出張族です。