つれづれ

ゴミ拾いから学ぶ(人類の罪)


以前、教会までの道のりをゴミ拾いした時のことを書きますね。

チョンミョンソク先生が教会から民家まで毎日雪かきをされた話を聞き、

自分もゴミ拾いでもやってみよう!という流れで行うことになりました。

 

いつもは車で通っている教会ですが今日はすべて歩き。教会までは約7kmです。

10枚くらいのゴミ袋とゴミ拾い用手袋を持って出かけました。

一人でやるのでゴミ捨て場に困りましたが、所々のコンビニで捨てさせてもらいました。

ご協力ありがとうございました(^^)/

 

ただ、拾うだけではもったいないのでいろいろ考えることにしました。

ゴミ拾いしながら、2kmくらい進んだ時に一つの気づき(悟り)がありました。

ゴミは落ちているところにたくさん落ちているなぁ。(正しい表現としては捨てている)

たぶん、これだけ捨てられてたらもう少しくらい大丈夫だろうと思うのかな~(;・∀・)

恐ろしい群集心理。

このように罪を犯すということを感じました。

バス停に捨ててあったタバコの吸い殻。100本以上はあったかと。

火ばさみで一個一個とってたら日が暮れたでしょう。手掴みでやりました。

 

 

さらに2km進んだところ猪名川の橋。

近くにホテルがありますが、そこで初めて声をかけられました。

「ありがとうございます」

ゴミ拾いを開始して4km。時間にして2時間強。神様が人を通して励ましてくれたと感じました。

 

このあとは町中から離れ、コンビニもなく、ゴミを捨てるところが無くなりました。

ゴミ箱がなければゴミを捨てることはできません。

500m ほど進んだら、両手にゴミがいっぱいになりました。

一瞬、おいて行くことが頭をよぎりましたが、ゴミを集めて終わっては意味がないと思い、

ただ両手にゴミを持ったままゴミ箱を探しました。

とぼとぼ歩いていると、、、ありました!!

公園内にゴミ箱が。。。

キリストを見つけたような感じでした(*^-^*)

燃えるゴミは、そこに全部捨て、それまでに拾えなかったゴミを戻って拾い、さらに先に進みました。

そして最後は伊丹空港の下をくぐるトンネル。ここももちろんゴミ箱がないゾーンです。

またすぐに両手がふさがりました。

人類の罪の多さを実感し、いつしか涙が溢れてきました(ToT)

人がどれだけゴミ拾いをしてもゴミを焼却する場所がなければ意味がない。

自分の無力さを感じ、キリストの価値を深く感じました。

ゴミのような人類の罪を焼却できるキリストの権勢は本当に偉大です。

 

そんなことを考えながら歩いていると、またゴミ箱が!

感謝して、そこにいくつかだけを捨てて、拾える状況を作りました。

トンネルをくぐればもうすぐ教会。教会に着いたときにはまたゴミ袋二つでした。

4時間の悟り多いゴミ拾いを終えました(*^^*)

 

帰りは妻が車で近くまで来ていたので、ゴミを乗せて一緒に家に帰りました!!

 

最後にチョンミョンソク先生の箴言、今日は2つ紹介して終わりますね~。

①罪は犯さないこと

②罪を犯したら悔い改めること


ABOUT ME
miyachan
尾崎豊の十七歳の地図って歌、知ってるかい!この歌の「何のために生きてるのかわからなくなるよ」というフレーズ。19歳の自分にピッタリはまったよ。 なぜ、生きるかを知りたくて過ごした日々、奇跡的に摂理と出会うようになったんだ。 あれから20年、御言葉を聞き、今は結婚して二人娘のパパ。 そして仕事はフリーランスSE。鄭明析先生の御言葉でさらに大傑作人生に挑戦中だ!