つれづれ

自分が導かれた経緯の話をしよう


どうもこんにちは。

徳島だよりの時間です。

今週は鄭明析先生が、摂理の福音の価値について教えてくださいました。

福音というと分かりづらいですが、要はこの摂理にいる私たちが聞いている神様の御言葉ですね。

私も摂理に来てかれこれ7年以上になりますが、せっかくなので、私が摂理の御言葉に出会うようになった経緯を簡単に書きたいと思います。

私が初めてこの御言葉を聞いたのは、ちょうど大学3年生の終わり頃でした。

当時私は就職活動をしている最中で、春休みもあちこちの会社の説明会に行ったり、エントリーシートを提出したり、面接の準備をしたりと、色々忙しくしていました。

私は大学は理系だったので、同級生の75%くらいは大学院に進学するところでした。しかし、私はあえて学部で卒業する道を選びました。同級生からは「お前そんなに優秀なのに大学院行かないの?」と言われたりもしました。

私が優秀だったかどうかはともかく、私が大学院に行かずに卒業する道を選んだ理由は、一言で言うと「大学生活に限界を感じていた」からです。

大学生のときは、授業もちゃんと行って、友達と遊んで、サークルで旅行行ったり、バイトしたり、それなりに学生らしい生活をしてました。

側から見たら割と充実した生活してるように見えますが、実は心の中では常に満たされない日々が続いていました。

いくら色んな活動をしていても、自分は成長できていないのではないかという思いや、自分の悪いところがたくさん見えるようになってきて、「なんで俺はこんなんなんだろう。」と思ったりしてました。

また、私は当時彼女がものすごく欲しくてしょうがなかったのですが、いくら頑張っても上手くいかず落胆し、彼女がいる友達を羨んだり妬んだりもしてました。

そんなこんな色んなことがあり、私は大学生という環境から早く抜け出したいと考えていました。大学を卒業して新しい社会に出れば、もっと自分は変われるかもしれない、もっと新しい出会いがあるかもしれない。

そんな淡い希望に似たものを抱いて、私は就職活動をしていました。

そんなとき、知り合いだった大学の先輩を通じて、私は聖書を紹介されました。

私はそれまで聖書というものを全く読んだことなく、どんなものかよく分からなかったですが、不思議と抵抗もあまりなく、すっと御言葉を学び始めました。

御言葉を聞いて衝撃を受けたことはたくさんありますが、最も印象に残ったのは、神様の愛についてでした。

神様は私たちと愛し合いたくて、私たち人間を創造なさった。だから、まず根本的な神様との愛の関係を成すことだ。

それを聞いて私は、本当に感動しました。

今まで自分が求めていた愛は本当の愛ではなく、神様の愛こそが本当の愛なんだ。そのことを知って、心底嬉しくなりました。肩の荷が下りた感じ。今まで自分を苦しめ悩ませていた根本の問題が解かれたのです。世の中には色んな団体があって、色んないい活動をしていますけど、根本的な私たちの霊を救ってくれるのは、この摂理の御言葉だけだと感じています。

そこから私は御言葉をより一層学んでいき、今に至るわけです。

本当に摂理に来て良かった。

御言葉と出会えて良かった。

心の底からそう感じています。

マタイによる福音書5章3節に、こんな聖句があります。

「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 」

私は最初何のことを言ってるのか分かりませんでした。何で心が貧しい人ほど幸せなのだろうと。しかし、自分がもしすごく大学生活が充実していて、彼女とかもいて、最初から素晴らしい人間になっていたら、きっとこの御言葉には出会っていなかったかも。あるいは出会っていてもその価値が分からなかったのかも。そう考えたら、かつての私のような心の貧しい人であってこそ、この御言葉の素晴らしさが分かるのだと思います。だから本当に自分は幸せだと感じられるんですね。

きっと自分のような虚しさ、苦しみや悩みを抱えている人は世の中にいっぱいいるんでしょう。そんな人たちが一人でも多く、この摂理の御言葉に出会えることを、私は今日も祈っています。


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義高(よしたか)
徳島県で働く地方公務員です。大学生の時に「キリスト教福音宣教会(摂理)」に出会いました。趣味は音楽(ギター、ベース、カホン等)、鉄道、旅行、美味いもの巡り、お笑い、不定期に行なう筋トレ、ラケット系競技など。基本的にのんびりまったりとした人間です。最近のマイブームは卓球、ロシアワールドカップを機にサッカー観戦にもハマりました。地元なので徳島ヴォルティスは応援してます。摂理で出会った人と結婚し、現在はニ男(まーくん、まっきー)の父親です☆